高村 光太郎 特集
 レモン哀歌   冬が来た   クロツグミ   道 程   刃物を研ぐ人   あどけない話   根付の国   女医になった少女  BACK TO INDEX

次のペ^ジへ

レモン哀歌  

朗読 松本 いずみ


 


 そんなにもあなたはレモンを待っていた
 かなしく白くあかるい死の床で
 わたしの手からとった一つのレモンを
 あなたのきれいな歯がガリリと噛んだ
 トパアズ色の香気が立つ
 その数滴の天のものなるレモンの汁は
 ぱっとあなたの意識を正常にした
 あなたの青く澄んだ目がかすかに笑う
 わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
 あなたの喉に嵐はあるが
 こういう命の瀬戸際に
 智恵子はもとの智恵子となり
 生涯の愛を一瞬にかたむけた
 それからひと時
 むかし山てんでしたような深呼吸を一つして
 あなたの機関はそれなり止まった
 写真の前に挿した桜の花かげに
 すずしく光るレモンを今日も置こう