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第5章 長編叙事詩 (3)

成吉思汗(ジンギス・カン)


「テムジンよ、

わがシャーマンの児よ

みずからの意志をもって

生まれいで

生きんとする生命よ

汝、生きるに運命なし

山河を砂漠を大草原を母となし

星々を月を太陽を父となす児

テムジンよ

己が内より湧き出ずる命に従いて

生きよ」
 

テムジンはその声を
その母の胎内の羊水の中で

聞いた

 
七日七晩
横なぐりの雨と霙と雹と雪と

耳をつん裂き目を射る雷の爆裂が

大地をゆるがし大気を裂き

凄まじい大嵐が

モンゴルの全土を覆った

 
八日目の払暁
 
重っ苦しい重層の黒雲はかきっ消え 狂暴な嵐は去った

 
太陽が出で

澄み渡った大気の下

大草原の中の合議のための広場に集まった

邑々の長老たちは口々に話しあった

 
その未曾有の大嵐の

風や雷の轟音や

雨、霙、雹、雪やのうなりや

草や樹木たちのざわめきや

あるいは

雲の動きや雷光の閃きや大気の中にすら

「テムジン」 という

不思議な名前を聞きとり

また感じとっていた、 と。

 
一人の長老が叫んだ、
  

見よ!
昨夜までのかってなかった狂暴な大嵐の直後じゃというのに

この大草原の樹木と草々の生き生きとした

輝きとその直立を

そしてまた此の裸の土のかくもしっとりとした

その潤いを

ぬかるみ一つとてないではないか

吉祥じゃあ

テムジンの名においての
 
大いなる吉祥じゃ
 

その夜
天は無限に深く

大気は硬質ガラスの真の透明

降り注ぐ星々と月の光の充満の中で

エスガイの長の大きなパオの奥の間深く

一人の雄の嬰児が

その元気にして凛とした

産声をあげた

 
幼くして

その父を毒殺された夜

戦慄と

得体の知れない獰猛な憤怒が

テムジンの身を貫いたとき

「己が内より湧き出ずる
命に従いて

生きよ」

母の胎内で聞いたことばが
何処からともなく

やさしく静かに

テムジンを包み

その時テムジンは

(次ページに続く)

自分自身にたちかえった

 
その不思議なことばに導かれ

テムジンはモンゴルを平定し

金、西夏、中央アジア

サマルカンド、ペルシャ

そしてロシアに及ぶ

一大帝国を築いた

 
1227年

時にテムジン・ジンギス・ハーン65歳

征途・六盤山において

その天命を識る

 
星々の光は降るが如く

月はまた煌々として

その生誕の夜に似ていた

テムジンは陣幕を出で

丘の上の几帳に坐し

側近のあらくれにして切れ者の武将を集め

静かに口をひらいた

「まこと汝らに告ぐ
余、まさに己れ自身に還らんと欲す

我に入滅あらざり

汝ら、己れ自身に立ち還り

願わくば

己れ自身の身に帰することのみを我は欲す」

気高く獰猛な武将の数々
涙ひとつなく厳粛に静かに

なべてこれを理解し受容した

 
明けて翌日

陽がその渡る天の

そのまさにド真ん中の時点

テムジン・ジンギス・ハーン

静かに息を引き取る

 
遺体は

母なる大地の地下数万丈

星々と月と太陽とが

経巡り続ける