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殿様をあきらめたイサム君
寺島 靖夫 作


イサム君はじいちゃんの孫で小学四年生。とても武将や侍に詳しい。じいちゃんも時代劇が大好きで、二人は気が合う。遠く離れて住んでいるので、二人とも会うのをとても楽しみにしている。春休み、イサム君がやってきた。いつだったか皆でおしゃべりしていた時の話だが、イサム君の将来の夢がなんと「殿様」になりたいということだった。真剣な顔つきで言うので、皆は聞いたとたん、どっと笑う。だれも本気にしてくれない。ただじいちゃんだけは「おもしれえな」とイサムお殿様の家来にでもなりたい様子。

久しぶりに会った二人、さっそく、じいちゃんの地方では有名なお城を見学に行くことになった。そのお城は、小さいながらも風格があり、堂々としている。イサム君、朝から猛烈な張り切りよう。すでにお殿様になったようなはしゃぎぶり。古い街をたどっていくと、正面にお城がそびえ立つ。大勢の見学者に押されるように城内に一歩を踏み込む。外の明るい世界から一瞬闇の中へ。まごまごしていると、急に、垂直かと思われるほどの急勾配な階段があらわれた。小柄なイサム君には、予想外の難所。丸太の柵をつかんで必死によじ登ってゆく。天守にたどり着いた時には、彼の息は「はあはあ」。しかし、苦労して登った甲斐はあった。そこからの眺めは格別だった。眼下には小高い山々に囲まれた豊かな平野が広がり、お城の後ろは大きな川が流れていて、敵が攻めるのは難しい。このようなところが自分の領地だと思うと、じいちゃんにはイサム君の殿様になりたい気持ちがよくわかった。

ひとまわり外を楽しんだ後は、次は徐々に階段を下り、各階の展示物を見て回る。大きな絵巻物が眼の前にあらわれた。その絵巻物は合戦の模様が生々しく描かれていて、真っ赤な血を吹きだして目をひんむいて息絶えた多くの兵士たちや倒れた馬や火で燃えている家々などが誇張されて描かれていた。
そして絵巻物の横には殿様がその合戦で着たというよろい、かぶとが血でも吸ったような不気味な黒色に光っていた。ジャラジャラと音を立てて向かってきそうな迫力がある。じいちゃんがイサム君に、合戦の模様をいかにも自分が見てきたような調子で言う。イサム君は少し気分が悪そうな顔をして黙って聞いていた。その下の階は、古びたたくさんの書類が展示されていた。「じいちゃん、これはなに?」「これはな、殿様が書いたもんじゃ」「なんて書いてあるの?」「いや、じいちゃんにもわからん」。イサム君の質問にじいちゃんの声が少し小さくなった。足早に通り過ぎた。

お城を出ると、街はちょうどお昼時。「イサム君、おなかが減ったから、この街の名物料理を食べよう」。二人は街はずれの古びた古民家風の食べ物屋に入った。店内は味噌の香りで満ちていた。この店の名物は「なめしでんがく」。運ばれてきた「でんがく」には豆腐の上に赤みそがこってりと塗られていている。「昔の人もこの「でんがく」を食べただろうね」。イサム君がなにか考えながら言った。

その日の晩ご飯の時、ばあちゃんが言った。「イサム君、どうだった今日のお城は、気にいった?。殿様の気分はどう?」。しばらく、沈黙の時間が流れた。そしてイサム君が一気に言った。「僕、殿様になるのをやめた」。じいちゃんとばあちゃんは「えっ」といったまましばらく言葉が出なかった。「なに、殿様になるのをやめた?」

「僕には殿様になれそうもない。第一あんな急な階段はとても登れないよ。そしてたたかい。僕、合戦の絵を見たら急に怖くなってしまった。重いよろいを着て戦うなんてとてもじゃないが無理。じいちゃんにも読めないような手紙を書かなきゃいけないし、僕、文章苦手。それより、「でんがく」を食べて、街で皆と楽しく暮らしたほうがよっぽど気楽でいいよ。僕こっちにすることに決めた」。

じいちゃんとばあちゃんはイサム君の話を聞いて、思わず笑い出した。「これは驚いた。きっと気にいって、ますます殿様になりたい気分が大きくなると思ったのに-----」。じいちゃんは家来になる夢がバッサリと絶たれたことに少し残念がっているようにも見えた。ばあちゃんが言った。「イサム君、敵の首をはねて、いくさに勝って殿様になっても、毎日はびくびく。こんな生活なんてやだよね」。じいちゃんが最後に言った。「でんがく」が、殿様に勝った ということだな」。イサム君が大きくうなずいた。ということだな」。イサム君が大きくうなずいた。

 

 

 

 

 

ムクドリの恩返し
寺島 靖夫 作


その事件はあっという間に起こり、あっという間に消えた。一瞬の出来事だった。私は一年ほど前から、自転車で三十分ほど離れた、ある高齢者福祉施設で、植物を植えたり、樹木の手入れをしたりするボランティアをしている。

その日は新緑がまぶしく光る気持ちいい日だった。午前中の仕事が終わり、暑い日差しを避けた軒下で仲間と弁当を広げていたその時事件は起こった。突然、近くで必死に何かから逃げよとしている、バタバタという異様な羽音がした。弁当からその音の方に目を移すと、そこには、地面に敷設されている金属製の雨水用の格子桝に黄色の嘴を突き出してもがいている小鳥の姿があった。嘴の黄色から、とっさにムクドリだと分かった。と次の瞬間、嘴も消えてムクドリは格子桝の下の暗渠の中に姿を消してしまった。「なぜこんなところにムクドリが----」。私たちはあっけにとられて格子桝を見た。

私は弁当を放り出して、仲間たちと、先ほどムクドリが忽然と姿を消した五十センチほどの鉄の格子桝をあわただしく持ち上げた。昼休み中、ムクドリの逃げ去るのを待って桝をそのまま開けておいたが、何の変化もなく、やむなく、桝を元に戻して、午後の作業を開始した。四時頃その日の作業が終わり仲間はそれぞれ帰宅した。

 私は家に帰ったものの、ムクドリのことが頭から離れず落ちついていられなかった。「ちょっと気になることがあるので、もういっぺん施設に行ってくるわ」と妻に言い残して、再度自転車に跨った。あたりは夕暮れが近づいていた。暗渠は施設の周りに敷設されて、長さは百メートルもあろうか。六、七メートルごとに鉄製の雨水格子桝が設置されている。昼休みに仲間と持ち上げた格子桝は大した力は要らなかったが、一人で持ち上げてみると予想外に重い。満身の力を込めてようやく一枚を持ち上げることが出来た。すばやく暗渠の中に首を突っ込んで、左右を確認する。所々にある格子桝から漏れるかすかな光以外は暗渠の中はほの暗く、ムクドリの姿らしきものは見出すことは出来ない。

二、三枚桝を持ち上げて同じことを繰り返すが、手ごたえはなかった。しかし、今なお暗い暗渠の中で一羽のムクドリが不安に怯えているかと思うと、手を止めるわけにはいかない。何枚目かの格子蓋を開けよとした。しかし、その蓋は周辺に土が押し寄せていて、びくともしない。小枝で土を取り除き、両足を踏ん張って思いっきり引き上げようやく持ち上げる事が出来た。 早速暗渠に頭をつっこんで左側を見る。

「ん?」三、四メートル離れたところに何かがうずくまっている。手が届く距離ではない。急いで近くの土手で木の棒を拾ってきて、それに向かって「シッ、シッ」と追い立てる。すると急にそのかたまりが動き始めた。始めはヨタヨタと、次第に早くなり、遠ざかって行った。その先には苦労して開けて置いた格子桝がぽっかりと口を開けている。あわてて首を元にもどしたその瞬間、かたまりはその穴から勢いよく舞い上がった。私は急に力が抜けてしまい、お尻をぺたっと地面に落としたまま、そのかたまりを目で追った。それは間違いなくムクドリだった。三十メートル位先のヤマハンノキの枝にたどり着いた。一息入れたムクドリは北東の森を目指して飛び去った。その日の夕ご飯の時、妻にムクドリの話をした。その晩は疲れと安堵ですぐ深い眠りに落ちた。

翌日の早朝、妻が「何か外でにぎやかな音がするみたい」と傍らで寝ている私を揺り起した。時計は五時を少し回ったころである。確かに聞きなれない音がする。 窓をそっと開けるとその音は一段と大きく聞こえる。低い複雑な音と高い音とが入り混じった音だった。外へ出てみると、隣との境にあるクスノキに今まで見たことがないくらいたくさんの小鳥達が群れていた。そして、その音の源がクスノキから発している小鳥たちのさえずりであることが判った。幾種類かの小鳥たちの大合唱があたりを包んでいる。聞き覚えのある声から聞いたことのないさえずりまで。私はしばらくその合唱に聞き惚れていた。足音を忍ばせてクスノキに近づくと合唱はぴたりと止み、小鳥たちが一斉に舞い上がった。

朝食後、お茶を飲みながら、妻が言った。「お父さん、今朝のあの小鳥たちの大合唱は、昨日、お父さんが助けたムクドリが、歌のうまい仲間を誘って、お礼に来てくれたのですよ。きっとそうですよ」。「あの小鳥たちの中に昨日助けたムクドリが居たということか。それにしても、格子桝から逃げられてよかったなあ」。前日からその朝までの出来事を、お茶を飲みながらゆっくりと思い出してみた。渋いお茶をごくりと飲むと、口の中にほろ甘い香りが満ちてきた。

 

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