マハートマー ガンディー 詩集 (3)


 

我々が必要とするものは
肉体へのではなくむしろ精神への
薬である
病院と医療従事者の
多様性は真の文明の
尺度ではない
我々と世界とにとって
我々が我々の身体を甘やかせない方が
より良いのである。

誤りを、時として
とんでもない誤りを犯すのが人間である
しかし誤りを訂正し
再びそれを繰り返さない、と
決心するのは
人間だけである
その約束が十分に履行されるならば
誤りは忘れられるであろう

私たちの間で
偉大なる人物を偲び
その死亡日をではなく
誕生日を遵奉して
敬意を表すことが
習慣となってきた
その単純なる理由はおそらく
そうした偉人たちは
その肉体の
消滅によって
死ぬことはないという事によっている

私は
インドの救済は
インド女性の犠牲と
啓蒙とにかかっている
という明確な意見を持っている

女性をより劣った性と呼ぶのは
侮辱であり
女性に対する
男性の不正行為である

寺院に入ることが
不可触民制から逃れるための
唯一の方法ではない
それは今まで採られてきた
数多くの方法のなかの一つであるに過ぎない

インドの解放は
地球上で搾取されている
すべての人種に対して
彼らの解放はまじかであり
もう搾取されることはなくなるであろうことを
立証するであろう

一歩一歩
上がって行くことよりも
下降し滑り下ることのほうが
容易なのは何故か

通常、我々には
善と悪とを識別し得る、が
時として我々にはそれができない

樹木ですら
一つの幹と
数多くの枝と葉とを着けている
一つの真実で完璧な宗教は
そのようにして在る、が
人間の媒介を通じて行く過程で
沢山の枝葉が生じるのである

今日
何百万もの人々が
消極的な無気力のなかで
飢えという苦悶を経験している
飢えという苦悶の意味を
自ら知らず
この絶食を経験することなしに
彼らと私自身を同一視し
彼らに
私はどのように話し得るか

インドの中枢的な病は
その深刻な貧困であり、そして
より深刻な無知である

純粋で混じりけのない非暴力は
ユークリッドの線のように
不可能である

我々はすべての村々を覆うように
この仕事を
拡げなければならない
これは外部からの強制によってでは
為され得ない
仕事をする人は
中央の官憲による
規制から多少なりとも
自由に
自分自身で仕事を遂行することを
許されなければならない

ちょうど武器が暴力を象徴するように
我々が最も直截的に
非暴力を認識する
という意味において
チャーカ(糸車)は
非暴力を象徴する
しかし、我々が
その精神に従って働かないかぎり
チャーカは
非暴力を象徴し得ない

バラを見ることのできない盲人であっても
その芳香は知覚する

何千万という人々が
個人的にサティヤグラハを
実行したならば
それは政府との戦いとなろう
そのとき政府は
為す術もないかあるいは
銃の使用に頼るかのどちらかであろう
個人的サティヤグラハが
提唱され得る、と言った以上
黙して座っていることはできない
それを為すことはその人の義務である

放棄なき犠牲は
持続し得ない
愛着を感じなくなった物は
単純に
諦めなければならない

話すことでの私の優柔不断さは
かっては苛立ちであったが
今は喜びである
その最大の利点は
それが言語の経済性を
私に教えてくれたことである

もしも私が
その困難を日々に目にしてい、また
私の生活がその中に共にある人々に
奉仕しなければならないとしたら
私はすべての富と
所有物を放棄しなければならない

「ガンディー主義」といったものは
存在しない、
また、私は私の後にどのような分派をも
残したくはない

強さは
肉体的容量からは
生じない
それは
不屈の意志から生ずる

手段と結果の間には
何の関係もない、と
考えるのは
大きな間違いである
我々は播いた種と全く同じものを収穫する

私が為したことが残るのであって
私が言ったり書いたりしたことが
残るのではない

不寛容は
その主義主張において
信仰の欠如を暴露する

人々は私を政治学において
自分自身を見失った聖者だという
私は聖者たらんと
一心に努力する政治家である、ということが
事実である

悪の政府は
善男善女に対して
牢獄以外の
部屋を持たない

運命論には限界がある
我々はすべての救済策を
使い果たした後
物事を運命に任せる

大量生産は
消費者の真の要求を
無視する

不可触民制が
真実根絶されるならば
恐ろしい汚点である
ヒンズー教を浄化するばかりでなく
その影響は世界的なものとなろう
私の不可触民制に対する
戦いは人間の不純性に対する
戦いである

でたらめは間違いなく
すべての宗教のなかに存在する
光のあるところには
同時に影が存在する

奴隷のかせは
自分が自由な人間である、と
考えた瞬間に
ぷっつりと切れる

来るべき時代には
我々が信仰する教義や
我々がまとっているレッテルや
我々が叫ぶスローガンからではなく
我々の仕事、勤勉さ、
犠牲的行為、
誠実さそして人格の
純粋さによって
人々は我々を評価するであろう

真実の探求は
洞窟のなかでは
遂行され得ない
話すことが必要な場において
沈黙は無意味である

無抵抗なネズミは
猫に食べられなければならないからといって
非暴力的なのではない
できることならネズミは
喜んでその殺戮者を食べるだろう

非常に重要なことを
成し遂げたいならば
単に理性を満足させるだけでなく
心をも動かさなければならない

貴方が自分自身を
奴隷であると
考えないようになったときには
貴方を奴隷から解放することは
誰にもできない

消極的抵抗の
方法は
最も明快で安全である、何故なら
もしもその主張が真実でないならば
悩むのは抵抗者であり
彼らだけであるから

神のみ名によって
罪なき者を虐げることよりも大きな罪を
私は知らない

私は偶像崇拝を
信じない
偶像は私の内部の
崇拝感覚を
刺激しない
が、偶像崇拝は
人間の性質の一部であると
私は考えている
我々は象徴主義に憧れるものである

 

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