解 説
     横川 秀夫


  草野心平が中国のアメリカ系ミッション・スクールである麗南大学(現在の中山大学)に留学していた1926年6月に、ラビンドラナート タゴール(当時64歳)が香港を訪れました。このとき、21歳の心平はこの詩人をプレジデント ラインの船上に訪れ、このことをその著 「わが青春の記」 に記録しておりますが、タゴールがそこで行ったスピーチは若い心平の記憶に深く刻みこまれ、その冒頭は次に記されるものであります。

"Ladies and gentlemen, I represent the voice of Asia. I have come to China, not as a politician, not as a philosopher, but as a poet"
(紳士淑女諸君、私はアジアの声を代表します。私は政治家としてではなく、また哲学者としてでもなく、一人の詩人して中国にやってまいりました。)

  上記の話を冒頭に持ってまいりましたのは、この逸話は詩の根源とその精神、インドと日本とを文化的な側面から、また更にはアジア全体を考えるためのひとつの象徴的で重要なキーを提示している、と考えるからであります。

    アフターブ セット駐日インド大使が詩人であるということを私が知りましたのは、昨年私の174篇の英文詩を収録する "at Dawn" という詩集をインドの図書館に置いてほしい、との私の要請に快く応じて下さった氏の返事の手紙とその詩集を手にしてからであります。

  手にした詩集をひもどき、先ず私が思いだしましたことは、冒頭のタゴールと心平のことであり、同時にインドという国の文化の懐深さについて、つくづく考えさせられざるを得ませんでした。現実の詩作とは、意外なほどに体力と気力とを消耗させ、非常に疲れる作業でありますが、大使という激務のかたわら、これだけの詩をものすということは、私にとってほとんど信じられないところであります。

  ここに収録する30篇の詩は、1995年デリーにて発行された同題の詩集に、未発表の1篇を加えて急遽編集したものでありますが、まだこれに倍する数にのぼる未発表の詩篇を氏よりお預かりしております。

    翻訳に際しましては幸いなことに、英英解釈の観点から修辞法をも含め、米国内はもとより世界的にも著名な女流詩人である、ハワイ大学名誉教授フィリス ホーゲ   トンプソン博士のご教示を得ることができ、万全を期しました。結果として十分に満足のいく訳文になった、と私は考えます。いずれ折がありましたら、氏よりお預かりしている未発表の詩篇もご紹介できればと考えております。

  今回の翻訳作業は非常に興味深くまた楽しいものでありました。と同時に、今年の日印国交50周年、そして来年の日印協会100周年の記念すべきイベントを抜きにしても、この国には類を見ないこうした素晴らしい詩の世界を、ご紹介できることの栄誉を与えて下さった氏に、深甚の感謝の意を表するものであります。

(2002年4月2日 識)