フィリス ホーゲ詩集 愛と祈りの彼方  (16)
横川 秀夫訳

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大理石


弧をえがく巨大な海の潮のなかにほうりだされた
私の想いはもどりながら、また暗い泥板岩のちいさな入り江に
しずかにひきもどされ。酔い。愛され。
ありぶれた石英にこころ打たれ。

泥板岩。ニュー・イングランドの海岸地帯の霧の色彩。
ぬれた絹のようにも見え、まるでいまのこのひとときのようにも思われ。
秋ぞらの憂色のような、愛すべき、そしてかげりそのものでもある
大理石について私は想う。もっともレオンテスの言ったことだけど

斧が瞬間を切りとるものはなんだろう、と。

ヰェーツの飢えた恋人たちや
明るい色のウールのひだのように、透明なガーゼのように、
風にゆれるシーツのように、観音 (クワン・ユイン) の指のように、
ヘルメスの肩のように、イエスの手のように、
水や空気や大地やあるいは火のように、すべてのもののように。輝いていて。

けれどもガラテアの伝説や、また、どこか公の場所でま夜中に
キッスをかわす彫像みたいな、ヰェーツの飢えた恋人たちは
仮面のなかにキッスで特性をあらわし眠りについた。
けっして大理石たりえないヘルミオネだけが生きた。

私を叱って、かわいい石よ。でも貴方にはできはしない。

ああ、私は自由で打算のないありふれたしあわせ、
労せずしてえられる思いもかけない生きているなにかがほしい。
私は知性と方法論に病んでしまっている、
それは私自身の欠点であり、忍耐への病なのだけど。


私は私の手のなかにある物質に値したいとはねがわない、むしろ
生活、思わぬさずかりもの、彫刻には不要なひびわれた泥板岩をこそもっていたい。
私は私自身のくちびるにキッスしてほしい、ドアの外からしっかりとした指で
この顔から率直なかなしみの涙をぬぐってほしい、とねがう

大理石のように、かがやき、太陽が雲をとおしてしずかにもえ,
ほのかで燦然とした、そんな大気のなかで
大理石は悲劇の実体。大理石はおもたい。大理石は
くちづけされても生きてはいない。大理石は無責任なひとときの感情.

私は不器用。私はおとろえ。私は恥じる。
これは私だけの生。私は大理石のなかに消滅する。

 

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