フィリス ホーゲ詩集 愛と祈りの彼方  (30)
横川 秀夫訳

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カエナの海の言葉

風は絶壁を切り刻み
鳥たちは大気の茫漠のなかに叫びをあげていると
いうのに
何年ものあいだ私たちに信頼するという勇気を
与えてくれていたあの声は何処に消え去ったか?

私たちはその生のなかでこの傾斜する岩だなに到
るとき
眼下の海の黒いひだひだのなかに駆り立てられ
構成分子の集積した重量の下に、消え去ってしま
ったかに見える
あの言葉をもういちど見つけださなければ、と思う。



太陽はおとろえている。
四百本の黄金色のオールに放射されて、
太陽は天の飢えきった青に傾斜し
移行する、
そして海は火となって湧きかえる。
太陽は前方に沈む。
私たちが聞こうとしていた音は掻き消える。



カエナ、海。
原始の海水はこの渕々に存続し
沈む太陽の黄金に燃え。
明るい雨はその渕を満たしてきた
そして潮は過去をおおい沿岸の岩を掻き分けて進



カエナ、断崖の湾曲した翼。
その翼は、砂埃の味のする
鳥の荒々しい喉を掻きむしり
岩と干からびた泥土との広がりのなかにまっすぐつ
きだす。
その灰色の翼が到る場所に対峙して
無垢の端のむきだしの海に
接岸する黒い岩と赤い岩が海から突き出す。

年々白い波に打ち砕かれながら、
岩々は立ち続け愚かしく成長してきた。
次の時代にも直立し、とどまり
飛翔に逆らい。
青い大気の中まっさかさまに海の縁へと
落ち込みながら、断崖は上方にそれ。
寄せる波はどっと打ち砕け、
そして、緑の水面の下、岩々は堪え忍んでいる。



まるで半分眠っているかのように、
鳥たちの鳴き声と引き潮どきの海が海岸線を引き
下げる
鳥たちも静かなそうした夜のカエナでは、
ときどき、昔を偲ぶ
歌のような声のような旋律が現れる
あの世へと走り去った人々の幽霊たちが
歓喜し、
岩々の上を這いながら、
夜がその背後になだれこむにつれ脇の小道でそろ
ってシュプレヒコールを唱える。

この世が始まったとき
静かに海をおおう巨大な鳥の翼が
塵となり消え去らぬよう人々を覆った、と信じられて
いた。
その説話を信じ
人々は死という理解しがたい海の中に突進してい
った。
彼らの生命力はいまもなおこのことを私たちに物語
っている。



私たちは現代という時代にある。
私たちが事象に与える名は
かって人々が与えた名のそれと同じではない。
私たちは元来理解し得ないのだ。
けれども海は昔からのそのままで。岩々は変ること
なく。
生きとし生きる存在が留まる信条によって、
また、押し寄せる大音響の磯波のはるかな下に、
沈黙して世界は基礎を置いていて、
ただ永遠の言葉だけが留まる。

 

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