東西南北雑記帳
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詩の翻訳技術あれこれ
またまた椿事勃発

  前回は 「・・・や」 とか 「・・・よ」 といった日本語の間投詞について触れましたが、翻訳には椿事がつきものとて、今回はそれに関連してつい二三日前に起ったことがらで、これもまた椿事中の椿事ともいえることについて 記してみたいと思います。

  近作フィリス詩のページ 「可能性への仄かな光」 への未発表の詩篇の掲載が今月からようやく始まりました。これらは "LOOK!" のタイトルの下での連作となっており、ここ一年半ほどのうちに作られてきているもので、その数は本日までに長短含め実に46篇を数えています。発表は日英両語同時発表となりますが、この構想実現 のためフィリスさんからの了解を取り付けるのには紆余曲折があり結構時間がかかりました。この連作詩篇の書き出された当初は明らかに発表を前提にはしていなかったであろうと私には思われますが、書かれた順序に従ってそのまま発表して行くことに致しました。

  この "LOOK!" 発表の構想についてのやりとりで、上記の結論の出ましたのはこれを書いている2週間ほど前のことでしたが、その折フィリスさんの方から近作フィリス詩4篇を米国の或る詩誌に日米バイリンガルで発表するという追加の新しい構想が持ち出され、それについては私は同意し、その為の作品4篇が別途送られてきておりました。その4篇のうち1篇は既に発表されていますが他の3篇は未発表のはずです。最後に記録されている作品は、出来立てのホヤホヤで未完 の草稿といったもの、月末までには完成するという旨で、この作品はフィリスさんが以前に来日の折、鎌倉を訪れたときの記憶を中篇詩にした まったくの新作ですが、冒頭に其角の俳句が引用され、次のように記されております。

The Great Buddha!—oh,
his lap must be all filled with it
cherry blossom snow.....
Kikaku

  通常の一般知識に事欠かないなこの一文の読者にとっては実に驚くべきことでありましょうが、私にはこの英文の意味は無論良くわかりますが、 これに合致する日本語の原文について心当たりはありませんでした。上の句で The Great Buddha!-oh, と言っておりますので明らかにこれは日本語原文では 「大仏や」 であると判断されましたので、すぐ近くの市の中央図書館に行き調べましたが、俳句の文献には乏しく、其角のものについてはほとんど見当たりませんでしたので、図書館員に相談しましたところ、コンピューターによる検索により、其角の全集は都立図書館所蔵とのことが判明、そこから図書館のルートを通じて借り出していただくことになりました。(コンピューターの導入により このように図書館網も実にサービスの行き届いた 驚くべき便利な時代となっています。)

  三日ほどしてその全集が届きました。何万句或いは何十万句あるのかわかりませんが、其角作品の総索引で 「大仏」 で始まる句は、まるでこの英文訳とは意味の違う4篇しか記録されていない。おかしい、そんな筈がない。ひょっとすると、何らかの書の前文の一部かもしれない、そうも思われその全集を借り出しました。結論として、この句は其角 のもので はない可能性もある、とも思えましたので、翌朝、其角の句のなかで The Great Buddha で始るものは4句しか見つけられない、そちらで何か他にわかることがあったらお教え乞う、のメール発信。発信後10分たったかたたずして向い合ったコンピューターから ピッポーとメール着信の注意音。

The title of the poem in English in my book is "At the Back of the Buddha" (Kamakura)  The Japanese words transcribed into English are : 
O-botoke / hiza /uzumuramu / hana-no-yuki
Mine is a book of translations by Harold Henderson. And that is all I know.

私の手にある本のなかでの英語訳のタイトルは 「仏陀の後ろにて」 (鎌倉)であり
英文にて表記される日本語は
「おおぼとけ 膝うずむらむ、花の雪」 です。
翻訳者はハロルド・ヘンダーソン。こちらで知り得るこれがすべてです。
 

  ガガーン。大仏、これを 「おおぼとけ」 と読むとは 今回もまた横川秀夫まさに大失態。本当に笑えません。小学校6年のとき文学クラブに所属していての放課後、そう言えば確かにあのときこの句の解説を先生から聞いた かすかな記憶も間違いもなく蘇ってきました。折り返し、「拝受、有難。 其角の句たること確認。大仏には だいぶつ と おおぼとけ 二様の読み方あり。おおぼとけ は近代ではあまりつかわれることなし。けれどもこの句のイメージの非常に美しきこと、同感」 と折り返してお開き・・・のつもりが、翌朝になって 「英語訳と原文とのニュアンスの違いについてはどう思いますか」 の質問を受信。

  即答するに難く、「非常に精確にして的確な英語訳でしょうが、小生がこれについての論文を書き出したら間違いもなく修士・博士のレベルをはるかに超えることになりましょう」 が取りあえずの私の返事。詩の翻訳で興が乗りメール装置をインターネットにお互いつなぎっ放しにしあって、こちらが徹夜の時もあり又あちらが 深夜までの時もあったりで、コンピューターの前に釘付けになり、質疑応答一夜にして何十通ものメールのやりとりでの翻訳作業も過去何度もあったりする間柄、互いに文章の機微にも通じあって もいて、私のこのユーモアに大笑いをしているフィリスさんの姿が私には目に浮かぶ思いがします。

  まだ全フィリス詩の半数の翻訳を残している現在、このホームページの定期的更新にあまり煩わされず更新は自動的にできるようにして翻訳の時間を作ろうと、朗読ページの基礎の作成に大半のエネルギーを注ぎ込んでいる さ中、声を欠いた言葉、さらには心を欠いた言葉についてもつくづく考えることしきりの昨今であります。

  今は10月23日・日曜日の遅い午後、夕飯の用意までにはまだちょっと時間があり、このコラムは翻訳の専門家の鑑賞の対象ともなっておりますので、蛇足ながら付け加えます。 上掲の英語訳を借用して私流に考えれば、「大仏や」 の英語訳は、The Great Buddha!-oh であり、「おおぼとけ」 であれば -oh を除いて The Great Buddha! かな、とも思われます。どうなんでしょうネそこいら辺は、この -oh というユニークな使い方からしてからが。けれども日本語における 「だいぶつ」 と 「おおぼとけ」 のニュアンスの違いは非常に大きなものがありますネ、考えてもみれば。「おおぼとけ」 は "O-botoke" としてそのままの音で英語訳し注記で説明する手も、また "O-botoke (= the Great Buddha)" と表記する手もありましょうが、Buddha という良く知られた固有名詞ということもあり、また英語における音感の問題もあったりで、小生には 俄かにはわかりません。 ただ、全体のイメージを鎌倉の大仏と桜の花のコントラストの美しさにあると割り切ってしまえばこの呼称の問題はどうかな、といったところもあり、識者は如何お考えになりましょうか? まあ兎に角、翻訳というものは面白くもありまた実に繊細にして難しいですネ、考えてもみれば。

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