東西南北雑記帳
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詩の翻訳技術あれこれ
漢字の世界 (郭沫若のよみがえる日)

    先だって山手線の電車の中の文字が走る電光掲示板が私の目にとまり、読んでみましたらクイズが表示されており 「栞(しおり)」 という文字の由来について面白いクイズが表示されておりました。その答は、むかし山中を歩くとき帰りの道を失わないために歩きながら時々木の枝を折り目印のために通ったあとの道にこれを残したことに由来している、が解答でした。なーるほど漢字っていうものは面白いなぁ、あらためてそう思いました。

  私の愛読書の一つに香港の進修出版社発行の中国名筆の拓本集があります。これは学生あるいは書研究の初心者向け拓本文字集の安価な普及本ですが24巻からなるシリーズとなっていて、日本でもお馴染みのものは顔真卿・柳公権・王義之・趙之謙・褚遂良などなどその他諸々です。眠るまえの布団の中でですとか、ちょっとした空白時間に頻繁に私は 既に何十年もこのシリーズ本を手にとって楽しんできており、おそらくこれらの本を私は今までに一番数多く手にとり、読むのではなく眺めて楽しんできています。篆刻家である私の知人がかって言ったことですが、「篆刻作品は読んで楽しむものであり、書とは読むものではなく眺めて楽しむものである」 は逆説ではなく蓋し名言であると私は思います。また、漢字って読めなくて意味がわからなくてもじっくり見ているとなんとなくわかるんだよね、とは巷間よく耳にします。言い得て妙、と私は思います。漢字の世界とは表音文字にはないまるで違った世界を 私たちに展開し与えてくれています。

  それですこし話題が変りますが、 このサイトに中国語版を増設するにあたって、その準備などにかなりの時間を費やしました。その過程でも結構いろいろなことがありました。先ず、漢字に中国の簡易体を使うのか伝統的な現行の日本で使われている(中国で言えば)旧体を使うのかの問題があり、これは私の考えと同じ で一昨年夏にアメリカでフィリスさんにお会いしたときに何気ない話のなかで彼女の方からも提唱して下さって旧体となりました。翻訳の原文を日英どちらにするのかについては無論私の日本語訳から中国語への翻訳ということで セットさんも了解。最終的な翻訳は魏剛くんとの打ち合わせで、私が日本語から中国語への一次訳をして彼がこれを校訂し最終稿としてアップロードすることにな った次第です。

  実は魏剛くんは本国へ帰国後、日中貿易の仕事に従事しており日夜非常に忙しいことを私はよくよく知っておりましたので、その前にそのころ知り合いになった 某有名国立大学の博士課程を中退したと自称する中国女性にこの件につき打診していたのですが、彼女の方も乗り気になってくれてお会いして話しました。 その当時、中国本土では日本企業に対する暴動事件の騒乱の真っ只中で、会って話したときの女史の話題は聞くに堪えないもっぱら中国人としての日本に対する過激な主張のくりかえしでありました。 「村山富吉先生以外に日本人ぜーんぶ信用できません、わたしたち中国人 、もうキッパリ腹きめました。」  おちょぼ口を尖らせて狐目を見開らき眼鏡越しに私の顔をじーっと見つめながら悪態の言いたいほうだいの極み。私は、うんうんと聞き流し早々に話を打ち切り、試験的にやってみてくれるよう三篇の詩の原稿を渡し昼食をご馳走しお引取り頂いた次第でした。数日して中国語訳がメールで届きました。一読して私の怒髪は天を衝きました。なんとそれは毛語録を 私が彼女に手渡した日本語原文の詩形に合せて行換えしたものであったのです。私は魏剛くんに電話を入れ、「中国はいったいにどうなってんだいね、 ・・・・・。」 「ひえーっ、そーんな事がありましたか」  何事にも椿事はつきものですが、このハプニングによって私の中国観は完全に一変しました。スパイ天国日本という国はなんとも鷹揚な国だとも思った次第です。それにしてもお粗末にすぎる椿事でした。

  この複雑な世界の政治情勢のなかで、およそ民間人として他国に赴いている間は、滞在する国のなかでその国を誹謗するがごとき言動はご法度であります。それは対立を激化させ自分自身の身をも危険にさらすものなのです。魏剛くん滞日中の8年間のつきあいのなかで、政治に関する話題はまったくに出ませんでした。互いに意識してそうしたのではなく、そんなことよりも文学や学術の話に、また時にはお国自慢の話の方が楽しかったからでしょう。人間の繋がりというものは動物的な感覚に基づく部分が非常に多く、互いの本能的な嗅覚が人間としての繋がりを作り培っていたものだと私には考えられます。

  それでも、上記の世界中の何処の国に於いても通用しないとんでもない椿事ののち、魏剛くんの協力により曲がりなりにも中国語版はスタートしましたが、私の中国語一次役はインターネットに無償公開されている日中翻訳ソフトに依存しています。このソフトは玩具よりも甚だしく劣悪なものであり、それでも辞書代りには使える、といったテのものであります。それで、日本文を 左窓に入れると即座に右窓に簡易体による中国語の訳文は現れてはきます。然しながら 此処で一々説明できないほど不思議な中国語訳が非常にしばしば現れます。私の場合それはそれで良いのですが、一番に悩まされるのは、簡易体という奇妙な漢字です。簡易化は良いのですが、その簡易化は 支離滅裂で全体としてまるで整合性がないのです。手許の日中・中日辞書を頻繁に使わされることになりました。それで 知識が深まるにつれその簡易化の非整合性が非常に目についてよくわかるのです。 上からの騒乱・文化大革命のドサクサまぎれの実体を如実に物語る実に噴飯ものとして私の眼に映ずるのであります。 (それで、あの文化大革命のときの新聞に載った郭沫若の写真を思い起こしましたので上記表題にたった今、「郭沫若のよみがえる日」 として副題を付け加えました。)

  ここで、漢字変遷の歴史をざっと俯瞰してみましょう。言わずもがな漢字の起源は紀元前1,500年ころと推定される甲骨文字に始まり、周代の鐘鼎文字へ更に大篆体へと進み、秦の始皇帝に至って小篆体による文字整理が行われました。(ちなみに現今行われている落款印のための書体は原則として大篆体が使用されます。) そののち漢字は更に変遷をとげ、前漢の時代に実用として隷書が生まれ、更に漢末に至り現在と共通の楷書が成立しています。この 長い時間の流れの中で、文化大革命の文字改革のように文字そのものを変更した形跡は見当たりません。文化大革命の文字変更は上からの騒乱という集団ヒステリーの混乱のなかで 断行され、残念ながら3千年を超える漢字の流れに大きな断絶と亀裂をもたらしています。が、思想は過激であればあるほどに人々を酔わせ、群れ て泳ぐ魚のような行動に、底辺にある善良な人々をも駆り立て、誰も何も言わず漢字の本家本元である中国での事態はとうの昔に過ぎ去ってしまっています。後の歴史学はこれをどう評価するか。私には本来の 「文化・礼節」 を忘れた件の女史の姿のなかに中国という国の凋落を見ます。それは、瑞々しい個々人の精神の荒涼たる崩壊への途であります。そこでは創造としての詩は芸術は発展し得 えないのです。そして、文化 ・礼節を欠いた言動を容認する教育を施すような国家に於いては、世界最高峰の知識人にして偉大な文化人郭沫若の真の復権は多数という暴力の前で残念ながらあり得ない 、と私は観測します。

  Poetry Plaza 中国語版への試みは兎にも角にも上述のような突発事件をもたらし、私のなかにあった中国観に激しい変更を余儀なくさせながらも陽の目をみました。母体たる Poetry Plaza の機軸言語は英語でありますが、中国語版の機軸となる漢字は中国で謂われるところの旧体であります。が、旧体とは、という定義付けになりますとその基準を私は持たないのです。 戦前に使われていた日本での漢字は現代感覚には古すぎてとても使えたものではありません。中国での旧体とは具体的に如何なるものであるのかについての資料を私は持ち合わせてはいません。けれども、中国本土、香港、台湾そして日本で使われている漢字の感覚的な相違は 「なーんとなく」 私にも判るのです。魏剛くんからの最終原稿は ほんのときおり簡易体と旧体のチャンポンで私にもたらされます。それで、最終的に使用される漢字は私の感覚によって決定されて来ているのです。なーんともまったくな漢字の世界であります。

  今回はしゃべりすぎたか饒舌にすぎましたが此処で筆を置きます。 が、この「漢字の世界」の論文は後一二回は続くでありましょう。

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