東西南北雑記帳
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詩の翻訳技術あれこれ
こんなにも良い月をひとりで見て寝る − 尾崎 放哉


今回の表題は尾崎放哉の名句を借りました。この三ヶ国語からなる現代詩のサイトをメンバーの方々と共にやりくりしながら十年になりますが、この句はこのサイトを続けてきた結果の私の現在のサイトに対する率直な実感であります。詩歌の範囲は実に広く様々なスタイルを内包しています。それで、およそ七年前に英語版の四人の主要メンバ^が揃った段階で、セットさんとのお茶のみ話で 「しかし、このサイトは面白いサイトだね」 と言う言葉を思い出している次第です。確かにそのとおりだと思います。

その七年間を経た現在のこのサイトの状況は、その土台がようやく確立した、といったところか、と考えられます。一時期レギュラー・メンバーの増員を目指しましたが。なかなか旨くいかず、今ではメンバーからの推薦がない限 り現行稿勢力で続行して行く算段です。と、言いますのは、各メンバーの全作品を私の日本語翻訳によってこの国に紹介する、というのが当初からの各メンバーと私との暗黙の了解であり、私もその旨を何処かに書き記しているはずです。 今までもそうでしたが、リトアニア詩の翻訳をもかかえながらこれ以上の翻訳は私には到底無理であるからです。

これを書いているゴールデン・ウイーク中の五月三日現在、私の翻訳作業は再スタートしており、ジーン・シャノンの追加新作二十五篇の翻訳中ですが十五日の定期更新には全作品をアップロードできるかと踏んでおります、私の英語単語能力は貧弱ですので百科事典をも含めほとんどh辞書に首っきりで時間がかかりますが、それだけに一篇一篇を訳し終って行くごとにズシンとした充実感が得られることは実に楽しいもので、第三者には理解できない感情でありましょう。

それでセットさんの言う「面白いサイトないしは面白いメンバーである、とする思いは今まで私のなかにはあまりなかったところで、 いまごろになって実際まったくそのとおり と思えるのであります。過去に翻訳したそれぞれの作品の記憶は現在の私のなかから消えうせていて具体的なことがらは思い出すこともできません。その時その時の勝負でやって参りました。ただ、全体として言えることはメンバーの四人ともまったくその性格あるいっは技法が異なっており、それぞれあくまでも独自性が際立っている、ということは間違いのないところでしょう。

三日たち今日は六日の水曜日の朝となっています。昨夜おそくにジーン・シャノンの残りの詩篇の翻訳を終了し、近年にない非常な充実感と満足感をおぼえました。区切りをつけすぐに彼女あてにメールを送りました。 「澄んだ知性。熟した知識。。垣間見える明るいウイットとユーモア。切り詰められた簡潔性。ひとつの素晴らしい詩の世界。」 に続けて15日には日本語版にリリースするけど、こちらでもまだまだ沢山の読者がつくと思う旨を伝えた次第です。実のところれら25篇の新作詩が贈られてきたのは2007年の春先のことでありまして、その翻訳が放置されてきたのは私が多忙であったことに起因していますが、私の英語力にも由来しています。

百毒すれば意おのずから通じる、と言います。一篇のの詩の翻訳に際して、私はとにかく辞書にも当たらずある程度初歩的な感触を掴むまでを何回も読みます。この時期が一番苦痛の時期で、それが過ぎると少しは楽になります。時としてこのプロセスには非常な忍耐力と辛抱が必要でこれが過ぎるとある程度楽になるのです。そうしたプロセスに対する面倒くささが私の腰を上げさせるのに時間がかからせるのでしょう。それで何週間か前に別件でのフィリスさんからのメールのなかでジーンの詩の文章の簡潔性につきちょっと触れられておりました。それがきったけとなって長く放置してあった翻訳に取り掛かった経緯がありました。

此処でちょっと話題を変えます。「よく見ればなずな花咲く垣根かな」 を思い出しました。私見によれば、この句のなかの 「よく見れば」  は不要であると思われるのです。放哉であったら、「垣根になずなの花が咲いている」 となるかも知れません。こうした無駄な言葉ないしは説明的な言葉を削除して直裁に事物の本質に迫ろうとする技法を今回の翻訳を通じて私はジーン・シャノンの詩のなかに発見する思いでした。そんなこんなで翻訳を終了して思うことは、願わくば多くの人たちにジーン・シャノン詩を読んで頂きたい 。す。特に若い柔軟で新鮮な感覚を持った若い人たちに読んで頂きたいと思います。百読すれば意自ずからから通じるのです。もっともらしい解説などはまったくに不要なのです。

それにしても、詩の朗読音声ガイルを満載した Poetry Plaza 詩誌・東西南北というサイトは、世界広しといえども他に類を見てはいません。時折じっくりとひとりこのサイトを楽しみますが、放哉のいうこんなにも良い月を一人じめしている、という幸せをつくづく感じる昨今ではあります。 なお、セットさんの未訳詩の詩はまだ数篇、フィリスさんのものはまだ百篇を超えて残っておりますが、順次進めて行くつもりです。完成までは遥かな道のりです。

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