マハートマー ガンディー 詩集 (2)




もしも私にユーモアのセンスがなかったら
はるか昔に私は
自殺をしていたであろう

個々人にとっての真実は
国家にとっての真実である。人は
過分に赦すことはできない
弱者は赦すことが全くにできない。
赦すこととは強者の
特性である

私は一貫性という
悪戯な小鬼を作ることはしない
もしも私がその瞬間ごとに
自分自身に対して忠実であるならば
私の顔に投げつけられるかもしれない
すべての無定見性を
私は気にはしない

合理主義者は
感心なやからであり
合理主義は
それ自身が全能であると
主張するとき
恐ろしい怪物となる
全能の条理への帰属は
それを神と信じての
株や宝石への
崇拝と同じで
ひとかけらの偶像崇拝と
同じように有害である

自分の家を
正常で良好な状態に
保つことには
そうした状態なしに攻撃から
家を守ることと同じように
大変な勇気が要る

しばしば貧者は
その胃袋を十分に満たした時でも
満足をしない
が、彼らには明らかに
満足を得る資格があるのであり
社会は彼らがそれを得ているかどうか
確認することを怠ってはならない

私は自国民を愛すると同じように
全人類を愛する、何故なら
神はすべての人類の
心のなかに住んでいるからであり
私は人間性への奉仕を通じて
生命の最高峰を実現させることを
熱望するからである

神の言葉
「力を尽くす者は決して滅びぬ」
あの約束に
私は絶対的な信頼を置いている
従って
私の弱さから私は
千回も失望している、けれども
私は信義を失うことはない
が、私の望むことは
神への完全な服従の下に
この肉体が
置かれたとき
光を見るたい、ということである

私は私自身を
愚かな人間であると見なしている
私が幾つかの事柄を理解するのに
他の人よりも時間がかかる、が
私は気にはしない。
人間の知性の発達には
限界がある
しかし
心の質の発展というものは
限界を知らない。

人が自分自身を
足下の塵よりも
卑しいと思うとき
神は人を救い給う
無力で
弱い人にのみ
神のみ救いが
与えられる

人生は
妥協の連続であり
理論的に
真実であると認識した事柄を
現実に達成することは
何時も容易なことではない

何百万というヒンズー教徒自身に
その責がある
不可触民制という
恐ろしい制度を
心の底から
憎むと同じように
私はインドの残忍な搾取を憎む
が、横暴なヒンズー教徒を
憎むのを拒否することと同じように
私は横暴なイギリス人を
憎むことはしない
私に開かれている
あらゆる愛の手段の内に
彼らを正すことを私は模索している

権利の真の源は
義務である
すべての我々がその義務を完遂するならば
権利は求めるに遠くはない
義務をして不履行に放置するなら
我々は権利を追い求めることになり
義務は鬼火のように
我々から逃げ去る
追えば追うほど
それらは遠くへと飛び去るのでる

自然は我々の日々の必要物を
十分に産出する、ということは
例外なしに
自然の根源的な法則である
またすべての人々が
自分自身に必要なだけ摂取して
それ以上取らなければ
この世界に極貧はなく
飢餓によって
死ぬ人もない
であろう
ということを
私は敢えて示唆する

普遍でありすべての一般的である
真実の精神に
面と向き合うとき
人は己自身たる
最も卑しい創造物を
愛し得るに違いない
またそれを
熱望し求める人は
生涯のどのような段階をも
見失うことはない

神と神の法は一体である
法は神である
神に帰するものはすべて
単なる帰属ではない
神は帰属である
神は真であり愛であり法であり
人間の創意が
名づけ得る
百万ものその他の概念である

満足は努力の内に横たわっているのであり
学識のなかには無い
完全なる努力は
完全なる勝利である

荒れた海で
我々を導くのは
山を動かし
海を
越えて行く信仰である

私は小道を知っている
それはまっ直ぐで狭い
それは
刀の刃に似ている
私はその上を喜んで歩き
よろけて泣く

祈りのとき
言葉のない心のほうが
心のない
言葉よりもより優れている

究極的な考慮は
人間である
機械は人間の四肢を
衰えさせるものであっては
ならない

最も硬い心と
最も粗野な無知とは
受難の太陽が昇る前に
怒りも
悪意もなく
消えて行かなければならない

私自身が欠点だらけで
私はなかまの人たちの欠点を
見るのに疎い
従って
私は彼らの慈悲心を必要としているという事を
私には正直に言うことができる
誰に対しても酷しく
裁いてはならないということと
自分が見出した
欠点については
斟酌しなければならないということを
私は学んだ

もしも私が生まれ変わらなければならないなら
彼らの悲しみと悩みと
彼らに浴びせられる
公然たる侮辱とを
彼らと分かちあうことのできるように
あの悲惨な状態から
私自身と彼らとを解放することに
私が尽力することの
できるように
私は不可触民に
生まれなければならない

しかし私の全生涯を通じ
真実にこそ固執してきて
私は歩み寄ることの美しさを
評価することを学んだ
私は後半生において
この精神は
サティヤグラハの中枢であることを悟った

適切な女性教育は良いものと
私は信じている
が、男性と競ったり
男性を模倣することによって
世界に貢献するものではないと
私は考えている
女性がレースをすることはできるが
男性を模倣することによって
為し得る
偉大な高みに
上るのではない
女性は男性の
賞賛の対象でなければならない

首尾一貫して見えるかどうかに関して
私には全くに関心がない
真実への追及の過程で
私は沢山のアイデアを放棄し
新しい事柄を学んできた
年老いて、内面的に成長を
止めてしまったという感覚は
私にはないし
肉体の崩壊と共に
私の成長が止まるであろうという
感覚もない
私に関心があるのは
その時々において
私の神と真実との要求に
私が従う用意があるかどうかについてである

私は決して社会主義者ではない
また私は
所有を手に入れた人々を
剥奪したくもない

私は人類に奉仕することを通じて
神にまみえる努力をしている
というのは、神は天国にいるのでも
その下にいるのでもなく
すべての人のなかにいるからである

私はそれが昔のものであるから
良いものであるとする迷信には
同意しない
私はまたそれがインドのものであるから
良いものであるとすることをも
信じない

貴方がやらなければならないことが
如何に些細なことがらであろうとも
自分にできるだけのことはしなさい
自分がもっとも重要であると思うことに
でき得る限りの
注意と配慮とを
与えなさい
というのは
貴方が評価されるのは
こうした小さなことがらからなのですから

自分が正しいときには
自分の感情を
制御することができる
また、自分が間違っているときには
自分の感情を制御することができない

生き物が
無防備であればあるほど
人間の残忍さからの
人間によるより多くの保護が与えられる、と
私は思う

死は
我々の友人であり
最も真実なる友人である
死は苦悶から我々を解放する
死は我々に
新しいチャンスと新しい望みとを与える
死は眠りのようであり
優しい修復者である

個人の能力には
限界がある
すべての仕事を引き受けられる、と
自分自身を過信した瞬間
神はその思い上りを謙虚にすべくそこにある
私自身のことを言えば私には
乳児の世話をし
その育つのを手助けすることをもするに
十分な謙虚さが与えられている

改革者には
自分が改革をしようとする人と
緊密な親交を持つ
余裕がない

私は私の罪の
結果からの
救済を求めない
私は罪そのものからの救済
あるいは罪の思いからの
救済を求める

もしも我々が自分を信じ
信心深い心を持つならば
我々は神をそそのかし
神に屈服することはない
我々は我々自身を
無に帰さなければならない

我々は決してすべてを
同じようには考えない、また
我々はいつも真実を見るのに
断片として見て
見る角度も異なるとする
相互の寛容は
行為の
黄金律である

富者は
自分に必要でない
従って放置され無駄にされる
過剰な物品を貯蔵している
一方、そうした物品の欠乏のために
何百万人もが飢えに苦しみ
凍死している
もしも各自が
自分に必要なだけを保有するなら
欠乏に苦しむ者はなく
すべての人々が満足して暮らすだろう

 

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