マハートマー ガンディー 詩集 (4)



私は理性に訴えず
モラルに反した
宗教的教義を受け容れない
それが不道徳でないとき
私は不合理な宗教的感情については黙認する

私の生の哲学においては
手段と結果とは
置き換えられ得る関係にある

永遠の真理たる
死は
革命であり
始まりとその後において
ゆっくりとした確実な進化である
死は生活そのものと同じように
人間の成長にとって
必要なものなのである

すべての罪は
秘密裏に犯されている
神は我々の思考をも
識るということに気づく瞬間
我々は自由となる

私の不服従は
憎しみのなかにではなく愛のなかに
そのルーツを持つものである
私の個人的な宗教は
断固として如何なる他人をも
憎むことを禁じている

海水の一滴は
それと気づかず
その海の偉大さを
共有する、が
海から独立した存在に
立ち至るや否や
乾いてしまう
生は単なる泡である、と
言うとき、我々は
誇張して言っているのではない

祈りの最中の偶像使用を
私は禁ずるものではない
私はむしろ単に無定形を崇拝することを
優先する
このえり好みは
おそらく適当ではない
一つの事柄は
一人の人にマッチし
他の事柄は他の人に
マッチする
そしてこれら二つを
比較することは
正しく為し得るところではない

そこに住む人々に見捨てられた
立派な宮殿は廃墟のように見える
たとえ物持ちではあっても
品性を欠いた男も
それと同じようなものである

世界を生きていく上で
最も実利的でかつ
厳粛な方法は
反対するに
何ら確実な理由を
持たない限り
人々の言葉を信ずることである

人々が言う敗残と
壮絶な生そして
屈辱のさなかにあっても
「真実」と訳されるところの
根に横たわる
「神」への信仰の故に
私は自分の平和を保持することができる
我々は何百万もの事柄として
神を描出することができる、が
私は私自身のために「真実は神である」という
形式的文言を採択した

神に関し
神を定義づけることは困難である
が、真実の定義は
すべての人々の心の内に
置かれている
真実とは
今この瞬間に
貴方が本当であると信じるそのことであり
それが貴方の神である
もしある男がこの相対的な真実を
崇拝すれば
やがて
彼は究極的真実
すなわち神に
必ず到達する

アヒムサー(非暴力)は永遠の愛であり
また苦しみに耐える
限りない能力をも意味する
男の母親としての
女性以外に誰が
最大限に
この能力を示し得るか 

私の周りのすべてのものが
絶えず変化し消滅しているなかで
変化することなく
すべてを統御し
創造し、消散させ
再び創造するところの
息づく力を
変えるすべてが
根元に横たわっていることを
私はぼんやりと知覚する
精神の力を告げるもの
それが神である
そして感覚が
持続し得る限りにおいて
私にはその他のものは見えず
見えるのは神だけである

腐敗しやすい肉体を飾り立て
その存在を
ほんの束の間
延長させようと試みている
数多くの他の生命を
犠牲にすることを我々は恥じない
その結果
我々は肉体と魂の両面において
自分自身を殺しているということになる

私の経験は
他の人々に正義を施すことによって
我々は最も速やかに正義を勝ち取り得る
ということを示している

世界の
偉大なる宗教はみな
多かれ少なかれ真実であると
私は信じている
「多かれ少なかれ」と私が表現するのは
人間とは不完全なものであるという
実にその事実の所以からであり
人間の手が触れると
すべてのものは
不確実なものとなる、と
考えるからである

人は味覚を満足させる為にではなく
単に肉体を維持していく為に
食すべきである
それぞれの感覚器官が
肉体へ
また肉体を通じて魂へと
働きかけるとき
その特別な嗜好は立ち消え
その後
自然が意図する
方法に従って
機能し始めるのである

私は非暴力的に
生きまた死んでいくという
芸術を知っている、と空想している。
が、一つの完全な行動によって
それを披露したことはいまだにない

女性が暴行を受けているとき
暴力と非暴力という観点から
考える余地は彼女にはないであろう
彼女の第一の義務は
自衛ということである
自分の名誉を守るため
自分の心に浮かぶ
如何なる手段と方法をとるかは
彼女の選択に任されている

自由のためには
奴隷の鎖に繋がれて
読み書きの教育を受けに行くよりは
文字を知らぬまま石を砕いているほうが
はるかに良いことである

断食は
抑制や耽溺という武器と同じように
強力なものとなり得る
私のみならず他の人の
数多くの類似する後の経験は
この驚くべき事実の
証拠として提示され得るのである

言われるところの私の偉大さというものは
その多くを如何に
女性たちと同じように男性たちの
物言わず献身的で有能で
純真な労働者たちの絶え間のない
労役と苦役に負っているかについて
世界はほとんど知ってはいない

真実を犠牲にして
インドが
自由を勝ちとるよりも
滅んでしまったほうがましであろう

宗教は
同じ点に到達する
異なった道である
同じゴールに
到達する限り
異なった道を行くことに
何の問題があろうか

愛あるところに
神もまたある

静かな方法でそのようにすることが
できないなら
真実を語らないほうがよろしい
と、言うことは
自分の舌をコントロールできない人物に
真実はない、ということである

過ちを持たない人はいない
聖職者ですらそうである
過ちがないから
聖職者であるのではなく
自分自身の過ちを
知っているから、聖職者なのである
彼らは過ちと戦い
過ちを隠しはせず
常に自分自身を正すに
やぶさかではない

誰か他の人が私が持つよりも多くのものを
有しているならば、持たさしめよ
しかし私自身の生が
規制されなければならないなら
私は敢えて自分が欲しないものを
所有はしない

喜びなしに
提供される奉仕は
奉仕する側にも
奉仕される側にも
役立つことはない
しかし喜びの精神で提供される
奉仕の前では
他のすべての快楽や所有は
青ざめて無に帰する

他の人の考えは
間違っていて我々の考えだけが正しい、また
我々とは違った見解を
持っている人々は
国家の敵であるとすることは
悪い習慣である

我々の文明、我々の文化、
我々のスワラジ(独立自治)は
我々の欲求を
増大させることではなく ― 自己耽溺
我々の欲求を制限する
ことに頼るものである ― 自己否定

真実が永遠であるように
そこから派生する恵みもまた永遠である
神自身のなかに
真実、知識そして恵みを結合した
サチットアナンダとしての
神を我々はこのようにして知るのである

悪に対して善を返せ、は
私の指導原理である

美しいものは
有用である必要はなく
有用なものは
美しくあることはできないと信ずるように
我々は教えられてきた
私は有用なものは同時に
美しくあり得るということを
示したい

民主主義とは
人々が羊のように振舞う
状態のことではない
民主主義の下では
個人の意見の自由と
行動とは油断なく保護されている

神の導きは
しばしば水平線が
最も黒いときに
やってくる

世界の最も偉大な人物たちは
常に一人で立っていた
偉大なる預言者たち、ゾロアスター、ブッダ、
キリスト、モハメッドらは
私が名前を挙げることのできる
数多くの他と同じく
一人で立っていた
しかし彼らは自分自身とその神との内に
生きている真実を持っていた
そして神は彼らの側にいることを
信じていたが故に
彼らは決して孤独を感じることはなかった

私には世界に教えるべき
新しいものは何もない
真実と非暴力は
丘陵のように古い

神はその信者を
何度も何度も試すが
決して彼らの忍耐を越えることはしない
神は神が彼らのために処方する
厳しい試練を耐えて進むに十分な
強さを与える

男であれ女であれ
もしも私と同じ努力をし
同じ望みと真実を培うならば
誰もが私が為したことに到達し得る
ということに
私は何の疑いの余地をも
持たない

精製された金が
最初の合金をより大きく成長させるように
改心は
最初の汚れを増大させる

限りある人類には
それ自体が無限である
真実と愛との
すべてを知ることは
絶対にない
しかしそれを導きにすることについては
我々は十分によく知っている

自然は自分の背中を見ることができないように
我々を作った
背中を見ることは他の人に
任せられている
かくして、背中が見ることによって
利益を得ることは秘法に通ずる

賢い
一貫性と
愚かな
一貫性とがある
一貫してあるために
裸で
インドの太陽の下に行き、また裸で
真冬に太陽のないノールウェーに行く人は
愚かであると考えられ
特売場で
命を失うことになる

 

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