リトアニアからの叫びと祈り

リトアニア詩の幕開け  現代リトアニア詩について
 
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リトアニア詩に於る国外追放の経験
by Rimvydas Silbajoris  (
横川 秀夫 訳 )

  1944年のソヴィエト軍による.リトアニアへの決定的な第二次進駐はリトアニアのインテリ知的職業人、作家たちを暗い追放へと追いやった。これらの人たちは恐らく誰よりも.ソヴィエトの統治から脱出したかった。何故なら、彼らは1940年から1941年にかけての第一次占領の時、大量殺戮的な多数の国外追放が.ほとんどすべてのリトアニアの知識階級に対して向けられた事を.特に良く記憶していたからである。 

  この知識階級の大量流失は逆説的な状況を作りだした。そこでは政治的圧制ばかりではなく.作家と芸術家の不足という事態から、土着の優雅な芸術それ自身が復活するのに何十年もかかり、一方不毛の文学的生活に於いては、戦争が終結するや否や活発な発展が始った。避難民キャンプでは学校ばかりでなく、本の出版企業、文学賞、劇場やオペラすらが再建された。 

  一方、あたかも何事も起らなかったかのように、従来の文学的傾向やテーマを続ける事はむろん不可能であった。何かが起ったのである。それは、すべてを最終的に違ったものとする夥しい数に上る.追放であった。事象と意見の既述に於いて、伝統的な芸術イメージは外国の中にその以前の様相を失い、また、剥奪という現存する苦い知識によって慣れ親しんできた.人間への関心事は変形され.あるいは抑圧されるようになった。 

  経験についてのちょっとした記述から成り立つ抒情詩は,追放という事実に最も素早くまた鋭敏に察知された。幾人かの詩人たちは、小さな子供が突然に見知らぬ土地で目覚めたかのように、単純で素直な苦悩のなかに反応した。これら詩人たちのうち、1917年生れのカジス・ブラドナスは、生来の家と畑で慣れ親しんできた対象から引き裂かれた農民を覆う.物質的喪失感を最も直裁に表現した。1945年に亡命中のアリエン・ブル−ドの最初の本は、日々の経験からの小さな痛々しいビネットに満ちており、そこでは小さな花々、川の屈曲あるいは朝の青白い光が.そのありふれた親密さによって旅人を欺き慰めている。 ―  後になって、花は身近には知られておらず、川は奇妙なドイツ名で表示され、そして朝は外国の支配者のために重労働の翌日を意味している事に彼は気付き驚くのであった。

  後に「アングラ映画の祖父」として知られるようになった.1922年生れのジョナス・メカスは、記憶の内面的宇宙へと追放から解かれ、そこで彼はゆっくりと自身の単純な生来の村落と、故郷での農民生活の詳細を想起し聖化する流動的な韻文とを再建した。1948年発表の 「セメニスキアイのイデリス」 はあたかも空想的なアルカディアででもあるかのように.その村落を理想化してはいないが、むしろ逆に、熱暑や泥土また肌刺す寒気を通じて.農民生活の現実的な状況である.過酷さに焦点をおいている。詩人の温かな輝きに満ち、大地と人間との不朽の結びつきを表す.すべての物質的描写を象徴的手品的表現にと一変するが故に、その生は叙情的であり美しいものとなっている。

  1907年に生れた年配の詩人ベルナルダス・ブラズジオニスは、独立時代に朗々とした修辞的韻律を愛したキリスト教神秘主義者として.名声を確立していたが、自国に対する不法行為と専制政治の挑戦とに対し、高度に感情的な高さで激怒がほとんどヒステリックな調子でにまで強められた.激しい愛国的な詩を以って亡命することによりこれに応えた。「異邦の山」(1945)、「北の光」(1947) あるいは 「巨大な十字路」(1953) といった作品の中で、彼のとった姿勢は.詩人としてまた預言者としてのそれであり、祈りと願いの中に耐え自国に加えられた過酷な運命について、世界全体に証言することを呼びかけた。何年もの間、彼の詩は、遠ざかっていく希望という故郷の岸に向い.異邦の宇宙を横切る一種の行脚のなかに展開した。彼の多くの詩は背中に正義という重荷を負い.心のうちに誠実という宝石を持ち、世界の十字路に自身の神を求める.疲れた旅人のイメージの周辺に中心を為している。このイメージは彼の早期での.根本的な修辞的形象の本質的な構造上の反復であり、違った意味では、痛ましい様相であり、そこでは、そうした人間の生が死の門の彼方にある.魂の形而上学的棲家に向う旅として述べられている。

  1904年に生れたジョナス・アイスチスはブラズジオニスの声に.アイスチス自身の予言的な声を追加したが、それは別の声の調子に於いてであった。ソヴィエトとの戦争の前、主に恋愛の甘い痛みに関連し、アイスチスは、新しい修辞的形象と旋律構成を実験することを好み.しばしば自分の詩的言語を.強引にそれ自身を超越させようと、即ち、深い感情的意味を達成しようと、文法的に極めて小さな感覚をも犠牲にする印象主義詩人として広く知られていた。不思議なことに、アイスチスはその詩の中で自国にはまだ何も起ってはいない時期にあってすら.被追放を経験し表現している。この事は、ボルシェヴィキが来るまでの戦前にフランス滞在中、そこで愛すべき自国リトアニアを懐かしく見つめ Villefranche-sur-Mer で生活に窮していたことに由来している。他の国外追放の作家たちが剥奪の悲しみに圧倒されていた頃、アイスチスは.既にこうした状況に慣れてしまっていた。それ故、彼はその必要時に母国を見捨ててしまった同胞を叱責する.断固とした意識ある声を発した。1947年の 「ネムナス川への渇望」 と1953年の 「修道女の生」 の中でアイスチスの詩の修辞的技法は、より伝統的な形式に戻り、自国の悲劇的な運命に思いを廻らせ、以前のロマンチックな主題は道徳的・哲学的意図に取って代った。

  ヘンリカス・ラダウスカス( 1910-1970)は時代を通じて.リトアニアの最も偉大な詩人としての資格を有している、と言える。それぞれの単語に、詩の構成に於いてイメージと観念の予期せぬ並列からもたらされる.暗黙の意味、暗示、語義の存在の恐るべき量を帯びさせるために、それが極限にまで固有の言語論理を浸透させているという事により、その並々ならぬ複文構成は.近代的であると言われている。ラダウカスは、それ自身に於いては通常の現実のなかでの.人間の諸経験の総計よりももっと絶対的に深く豊富である言葉の宇宙を.創造するとき絶頂に達する.一連の詩的叙述を構成するために.人間の知性の業績と.その宗教的情熱を利用すると同じように.宇宙神話学のすべての遺産を利用する。何故なら、そうすることによって.芸術の外部に於いては.相互に何の関連をも持たない思想と感覚の.それぞれの領域を関連づけ並列し得るからである。

  1919年生れのアルフォンサス・ニカ・ニリウナスは追い求める神のイメージの彼方の、自分自身を人間であるとする国外追放者にとって、真の棲家たる意味の無い永遠という.凍った空間に入ってく。1946年の 「剥奪交響曲集」 と題するその詩集は.それ自身人間の二つの根源的幻想に関っている。一つの幻想は肉体的にも精神的にも、人間がそれ自身の充足を見出だし得る世界の果ての何処かである.エルドラドがあたかも実在するかのように、遥かな水平に焦れる人間の永遠の欲求を表現している。窓を通して見える空の青い広がりの中に.何かを渇望している青い目の幼児の立つ.揺り篭ですら征服者の船に似ているように.究極の誓約についての.或る種の曖昧な概要は意識の当初の早期から.人間の魂を悩ませる、とニリウナスは言う。勿論、エルドラドは無く、世界の何ものかにとりつかれた旅人たちは.誰も特別な現実に到達しなかった。定義上、彼らはこうした国外追放者なのである。いま一つの人間の根源的幻想は.家庭での心地よい火への渇望によって代表される。つまり、それは生の意味について深遠な真実を掴んだと考える.道に迷った放浪者の夢であり、エルドラドとは.実は我々が最初に目を開けた地上の生れた場なのだ、とするものである。見捨てられた家は次には.ノスタルジックな記憶の素晴らしい色彩に輝きはじめ、一方現実的に、追放されたリトアニア詩人としての.ニリウナスの文脈の世界に於いては、素晴らしい家とは.単に遠く離れた虐げられた血の大地のことなのである。

  1950年代初期は、追放されたリトアニア文学の中では、ドイツに於ける初期の追放された人々の悲しみと.アメリカ大陸に於ける新しい方向への探求との間に.一種の境界線を記録する。既述したブラドナスとニリウナスを含む数多くの作家たちは、1952年に 「文学フォリオ」 と呼ばれる新しいジャーナルを中心にしてグループ化していった。「文学フォリオ」 は芸術における技巧への再献身を呼びかけ、また世界文学からもたらされる.新しいコスモポリタン的影響と.リトアニアの伝統とを.倫理的美学の中に組織化する創造的努力とを呼びかけるものであった。これらの作家たちは時として "Earth (Zeme)" 世代と呼ばれたのは、彼らが "Earth"  という名のアンソロジーを出版したからであり、復活の子宮としてまた死の究極的な母としての.地球の宇宙神話の枠組に対し.母国リトアニアの土の神話学を丹念に作る作業を始めたからである。この事は彼らの母国への渇望に.更なる哲学的コスモポリタン的な視点を与える結果となった。

  極めて自然に、剥奪された農民であるブラドナスは.新しい神話学の中心に位置していた。「九つのバラード」(1955) 「湿地の火」(1958) および 「銀のくつわ」(1958) と題する幾つかの詩集の中で、彼は母国に於いて何世紀にも渡る生命の生れ変り.ならびにキリスト教と異教徒両者における.神の生れ変わりに際し.生贄としての人間の存在についての.観念を詳細に説いた。その詩篇は生命ある有機体としての.大地の美しさに対し.表面上の簡潔さと.土着で魅力的な個人的な驚きを保持していたが、同時に、国土を繰り返し緑豊かたらしめんと.自分自身を犠牲にする.リトアニアのすべての世代を通じて生命の連続体に対する.暗黙の言及に於いて.象徴的で複雑なものとなった。

  "Earth"派に属する.もう一人の詩人は.1920年生れの ヘンリカス・ナギス である。ナギスの詩はニリウナスのそれよりも.よりロマンチックであり簡潔である。何故なら、その詩の特質、比喩的描写、意味は人間の経験の潜在する無数の複雑性を単純化する感情の集合によって.抑制されているからである。母国、国外追放、現代社会の混沌として不吉な騒音は.詩人の感性によって濾過され.ロマンチクな或いは更にメロドラマ的なイメージの結果として.表出されるからである。詩人としてのナギスの基本的な感情の中で、最初に上げられなければならないのは.死に向う時間の流れに対する意識である。その詩集 「十一月の夜」(1947) に於いて、時間はそれ自身を、鳥の翼のリズミカルな羽ばたきや、時計の刻み、詩人の心臓の鼓動の中に計測し、そして或る詩の中でのように、燃えながら沈む太陽に対して.古代のオークの裸の枝の上で運ばれる.巨大な黒い雲のひつぎとして夕ぐれはやって来る風景の.比喩的な変容の中でもまた.時間はそれ自身を計測する。いま一つの感情は友情の意識であり、 時間の死んだような流れの中で純化され光輝き、創造の心、詩人、求道者、反逆者との親密な兄弟関係である。こうした人々は様々な場と歴史上の時代からやって来て.親密な誠実と愛の中に秘蔵されるナギスの兄弟である。反乱それ自身、或いはむしろ、真実の求道者の活発性は.いま一つの支配的な感情である。最後に、追放の大惨事に対し並列する時間と友情の両者の下に横たわるということは.現実の知覚の中の.子供のような新鮮さと率直さである。この新鮮さを取り戻したいという渇望は、またそれ共に恐らく、失われた母国にあるこの詩人にとって.敬愛することは 「日時計」(1959) と 「青い雪」(1960) を含むすべてのその詩集の中に浸透している。ナギスの本 "Brothers the White Winged Spirits (1970)" はこの直接的で無垢な現実感覚をすべてのフォークソングと.歴史的神話学の内部核として認識されている神話の国、永遠のリトアニアに移転させた。

  "Earth" 派の追放された作家たちの中で.最年少であり最も早死にした アルギマンタス・マッカス(1932-1964) は国外追放と死というテーマに対して.最も強烈に献身した詩人であった。マッカスの非常に好評を博した 「挽歌詩人」(1950) という詩集はブラズジオニスの標準的な愛国の情感を含んでいた。第二詩集 「神の地球」(1959)が出版されたのは.九年後であったが、その時マッカスは明らかに真の国外追放に対する.崇高な詩的修辞法は不適切であることを理解していた。結果として、その第二詩集の中でマッカスは.国外追放とは歴史の中で.無知な傍観者に起る.単なる何事かではなく.我々が為さなければならない何事かなのだという事、即ち、宇宙に於いて.家と幸福への可能性の中の.すべての教義を完全に捨て拒絶する事を公表するために、その詩的言語と観念の両方を根本的に変えた。それは彼にとって.作品の創造的活用に関する.正直にして精密な疑問となった。現代の破滅的な世界に於いて、終始変らない誠実さをもって言葉を使うとき、我々は人間が通常信じているすべての事柄には.実質的なものは全くない.という事により明確に気付くのである。かくして、その第二詩集とそれに続く 「飾りのないスピーチとその言語の世代」(1962) は先ず神を葬りそれから希望.そして母国最後に詩的言語そのものを埋葬する.一種の埋葬行進となった。つまり、大地の黒、草の緑の芳香、神の守護天使、生命を与える水といった.生命の詩的象徴と形而上的表現は.すべて死と忘却を表現するために破棄された。マッカスの努力の妥協のない正直さは.その詩に暗い悲劇的な崇高さを与え、戦争の自滅的な大虐殺へと導く人間の幻想に対して、当時の文明の犠牲者はそれを断固たる見解である、と明言した。自動車事故により死んだアンタナス・スケマの追悼である.マッカスの最後の本 「チャペル B」 は、マッカス自身がシカゴで同じように事故で死んだ.死後の1965年に現れた。

  最後に、多くの側面があろうけれども.衝撃的で愚かな国外追放という経験は.リトアニア作家の創造的エネルギーを圧倒し.呆然たる沈黙或いは筋の通らない修辞法にと追い込みはしなかった。むしろ逆に、それ自身がユニークであり.それ自身の限界に於いて価値ある,創造的イマジネーションからの応答を.呼び起こしたのである。

 From Lithuania: In Her Own Words, 
edited by Laima Sruoginis 
(Tyto Alba, Vilnius, Lithuania, 1997) 


  本稿の著者 リムヴィダス・シルバジョラス (1924年生れ) はリトアニア文学に於いて最も尊敬され経験豊かで多作な文学評論家の一人である。リトアニア文学に関し.数多くの評論的試みを英語とリトアニア語で出版している。幾冊かのリトアニア文学アンソロジーの創造に参画し、英語、リトアニア語ならびにロシア語で数多くの評論を著し、幾冊もの評論集の著者であるが、最も良く知られているのは、1944年のソヴィエトによる第二次リトアニア占領後、シルバジョリス自身をも含め.国外逃亡を余儀なくされた.リトアニア作家の世代を西側に紹介する 「国外追放の完璧性・14人の現代リトアニア作家」 (1970)に於いてである。当時のヨーロッパに於ける全くの貧困と自暴自棄の中にあるにもかかわらず、戦後シルヴァジョリスは、ドイツの避難民キャンプに住み、キャンプでの芸術と文学の活動に積極的に参画した。その後、合衆国に移住し、コロンビア大学にて学を修了し、最終的にはオハイオ州に定住。現在はオハイオ州立大学スラブ語文学部にて、その教壇に立っている。

 

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