昭和四十九年の真夏
(この東村山に移り住んで今は十六年たっているが)
その引越しの直後の
こまごまとしたものの整理中
本の間だったかどこからだったか
一枚の古い年賀状がひょっこりと出てきて
見ると
昭和三十九年元旦日付の
中学時代の恩師からの年賀状
通信面には文字など何も書かれていない
画面一杯
明らかに観音像の版画のハガキ
(私の記憶が正しければ此の年のたしか春先に
恩師は急死をとげ片田舎の中学校の名もない一人の
美術教師として誠実な短いその生涯を閉じた)
「こんなにも佳いものが出てきちゃってどうもつらいよ」、と
差し出されたその版画を一目みた近くに住む友人から
「君、これは此の人にとっての理想の女性像で
それにまちがいはないよ」 と
指摘され、そう言われてみれば成る程そのとおりだと
私には腑におちるところがあって
けれども
その画像から受けとめられる
深い祈りにも似た雰囲気はなんなのだろう、との
一抹の疑問は消しがたく
それは私の胸の奥深く今も続いている
その後、この版画像は額装され
時には室内模様替えの飾りものや家具やらの
配置替えや引越しも幾度かはあったけれど
この作品はたえず私の身辺に置かれ
飾られ続けてきている