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第5章 長編叙事詩 (2)

匈奴の末裔


紀元前二世紀、キョウ奴と呼ばれる民族が
.蒙古高原を中心にトルキスタンから満州を覆う.広大な大地を制していた。粗食によく耐え.寒暑をものとせず.一度群をなし馬を駆り侵略すること凄まじく、酒と女と.糧食・財宝を求め.周辺各地に侵入すること頻繁に及んだ。群をなすところ.その大気は血生臭く.夜には燐の光を発し.青く炎え.殺すために殺す.殺戮と略奪がその生の目的であり.それ以外に彼等の目的はなかった。  
 
山と川と谷と大地と大気とに同化し、彼等の臭覚は
.犬のそれと等しく.耳は蝙蝠の声をも聞き分け.視力は鷹のそれに等しく、風を嗅ぎわけ一人が胴震いをすると.その胴震いは直ちに群全体に通じ、その伝わる震えによって.全体の一人一人は何がおこり.その時自分は何を為すべきかを.極めて正確に判断し得る.獰猛な闇の集団を.形成していた。彼等の脚は一晩に百里を走り.彼等の馬は一晩に千里を.走った。
 
無数の部族からなるこのキョウ奴は.蒙古高原にその祖を発し
.絶対的父性社会を形成しながら、眠るに昼夜なく.その眠る場を天の下、無蓋の大地岩場となし.侵略するにまた昼夜なかった。阿鼻叫喚を巻き起こし.東に展開してモンゴロイド部族と血の混交を続け、また.彼方西に展開して.アラブ・アーリア民族との混交を続けて行った。  
 
血の混交を繰り返した果ての
.西に展開するフン族の中に、紀元五世紀に至り.純粋キョウ奴の族長を父に.純粋トルコの姫を母に.アッチラが登場する。深い漆色の夜、アッチラは.その四肢にて自ら己の母の子宮を突き破り. その母を殺した夥しい血の海のなかに.生まれいでた。その面貌はクロマニヨンのそれにも似て.醜怪にして狂暴で、周囲のフンの冷血にして獰猛な戦士たちをも.震え上がらせた。  
 
アッチラの生まれいでた同じ日の同じ時刻に、ヨーロッパの奥地から
.地中海・黒海・カスピ海からイラン高原・中央アジア・満州.そして中国に及ぶ帯状の広大な地域に点在する.キョウ奴・フンの血の中に.同時に百の嬰児がそれぞれ同じように呱々の産声をあげていた。北斗の七つの星の下.の目には見えない不思議な糸で結ばれた.それは屈強にして冴えた頭脳の巨大な闇の戦士の軍団の.誕生であった。
 
広大な大地に点在する百一の魂を導いたのは
.風であり光であり大地であり樹木であり.大気であった。彼等はそれらの中から.動物的にまた本能的に.あらゆる情報を手にする.不思議な能力を生まれながらにして身につけていた。百一の魂は.それぞれがそれぞれ.自分たちはその百一の中で互いに識られ.また識り合っていることを意識していたが.何事に於いても連携することはなかったし.その必要もなかった。何故なら、成長して行く過程において.彼等百一の魂はその積み重ねとしての.知識と体験とを.同時に共有していたからである。
 
アッチラがハンガリーを本拠に
.ヨーロッパからアジアに及ぶ..その一大帝国を築いたとき、アッチラをも含め.遠く離れ世界に散在する.百一の彼等の間では、それは極めて必然の結果であることを.全員が当たり前のこととして知っていた。  
 
やがて、カタラウヌムの戦いで
.アッチラが西ローマ・ゲルマン連合軍と対峙したとき、百一のそれぞれの.魂の中に.柔らかな微風がよぎった。「引くべし」 のそれは神の声でも天の声でも大気の声でも.百一の総意としての声でも.なかった。ましてそれは.特定し得る如何なる人の声でもなかった。アッチラは.静かで厳かなその声にしたがって.引いた。アッチラは敗れたのではない.アッチラは.圧倒的に完皮なく勝ちの戦いに.果敢にして獰猛無比に超越した.その殺しの軍団を引いた。  
 
百一の魂は.自分たちもまた死んで行くことを
.よく心得ていた。死は忌避すべきものではなく..百一の魂にとってもまた.必然であることを彼等は良く知っていた。アッチラが愛するその妃の腕の中で.静かに息を引き取ったとき、世界に散って生きる.他の百の魂も全く同時に.同じように静かに息を引き取り.この世から忽然とその姿を消して行った。  
 
天に昇ったっか
.地に潜ったか、忽然として消えた.アッチラとその百の魂が再び.その姿を全く同じようにこの世に現したのは,それから七百年後の.十二世紀に入って.蒙古平原のド真ん中での.テムジンの生誕と共にであった。テムジン・チンギス・ハーンもまた.アッチラと同じようにそれと知らず遠隔にあってなお.その生死を共有する百の魂との.不可思議の道を歩み没して逝ったのである