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第6章 おもしろ話 (1)

ある休日に
 


天下は実に春で、晴れあがり快く澄んだ大空には
.白い雲が浮いていて、あんまりの美しさに、おおい雲よ.蒼空の騎乗よ、と思わず心の中で.叫んだことでありました。今日、早春のあんまりの天気に.下の娘を自転車の前に乗っけて散歩のつもりで.出かけました。
 
花びらの大きな.ボッテリとした八重桜、桃、紫木蓮、こでまり、れんぎょう
.そして我が家の花壇では、タンポポ、雪やなぎちんちょうげ、すみれ、すいせん..などに混じってチューリップなども二本.首を長く伸ばして澄まし顔に咲いています。垣根の地面にはコスモスの群も.双葉の産声をあげはじめました。やがて.十日もすればツツジなども.咲き出すでしょう。
 
家を出て.三叉路の道の真ん中に、にょっきり独り立っている
.一本の杉の方向に向かって.自転車を走らせて行きますと、右の小道から出てきた.やはり自転車に乗った女の人が.畑の中の一本道を私の前十メートルほどのところを行くのです。  
 
黒髪がウエーヴしながら肩まで流れ
.袖口に向かって広がって行く袖と.たおやかな腰の部分、そして袖口に赤と黒の.細かな花模様のついた.肌色のセーターを着け、黒のパンタロン姿で前に広がる緑の木立にむかって.スーッと吸いこまれるように行く様は、実にうつくしい、の一言につきまして、あの.優雅な袖の中に秘められているであろう.上品にしなやかな腕のことなども偲ばれて、そうだ.その意気で行け、なんて気分に浸って.おりました。と、申しますのは.我が家の裏側の斜め奥の林の中に.最近三軒新築された貸し家の一軒に.若い新婚夫婦が入居したと聞いておりましたので、きっと.そこの細君に相違ないと思ったからでありました。  
 
私は子供を乗せたサイクリングで
.ゆっくりあちこち眺めながらの道中ですので、やがて.その姿も私の視界からは消え、私は欅の並木にさしかかりました。つい.せんだってまで.空に根を張るように聳えていた.欅の木の枝々にも明るく軽い黄緑の葉が生まれ、その下の木洩れ陽がやわらかく輝く中.を過ぎて.私は.つげの垣根の家並みにそって.左に折れる坂道を下りはじめました。
 
そこで私は
.ふと最近使いはじめて気に入っている.フランス製ビックの使い捨てライターのガスが.二三日まえに切れたことを思い起こし.此の先にある近在で一軒きりの、酒もタバコも売る店に.立ち寄って.自転車をとめ.売り台の上にボンと代金を置き、ライター.と言って奥を覗きますと、あふれるばかりに明るい.陽光の戸外とは対照的に.こまごまと並べられた雑貨品の棚の前で.品選びをしているかの麗人の後ろ姿が.良く伸びた四肢と共に自転車での後ろ姿のときよりも一層美しく..輝くばかりに私の目にとまりました。
 
あれをいただけますか、と.白くほっそりとした指で何かを指し示している
.指先とそのころがすように響く.小鳥のような声も聞こえ、おお居てくれたか.居てくれたか、とすっかり嬉しくなってしまいました。  
 
ライター.という私の注文に、どれにしますか
.と店の主が聞きますので、白・黄・赤・青・緑の.五色あるうちから.緑が欲しい.と頼んだのですが、そんな私の品選びのうちに、やがて.問題の彼女がこちらを振り向いたのです。私はハッとして.少し顔が赤らむようなおもいでした。彼女の目とあわないように.私はあわてて目をそらし、けれどもその美しさに対して.あがらうことが遂にできず、彼女の顔を.思い切ってまっすぐに.見つめたのです。電気にうたれたような、一種なんともいえない.感動とでもいうのでしょうか、そんな衝撃に.打たれました。  
 
一瞬、めくれあがった大きな唇、ダンゴっ鼻、ギロリ光る
.大きな目が、バーッとこう拡大しながら.迫ってくるみたいで.晴天のへきれきとは、こんなことをも言うのでしょうか。ほとんど.全く、帽子の下に顔があったのでありました。