フィリス ホーゲ詩集 愛と祈りの彼方  (17)
横川 秀夫訳

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ユーリディス


1

大地の下に樹木はない。
良質な根は泥土のなかでどろどろになる。
地獄の川はのらりくらり
赤い割れ目に濡れおちていて
私がそこに至ったとき、私はそこに沈みこんだ



私は目撃者としてのユーリディスであった。
オルフェウスが私に歌った一つの歌は私が作ったものであった。
もしも木々が参列していて、もしも風が横たわり静かにその歌を聞いていたとしても、
もしも稲妻の走る原野をおおう雷が引き下がったとしても、
もしも潮流のあいだに懸かる海が砕けなかったとしても、
もしもライオンが小鹿の傍らをゆっくりと歩きながら飢えを忘れていたとしても、
聞くともなしに聞いていたとしても、その歌はオルフェウスの精力的な弁舌であった。
歌やあるいはライアよりも以前に
私は耳であり聞き手であった。
目による会話、つまり沈黙がすべてであり、
質問・応答であり、鏡であり、平等であった。
長い間しずかに息づいているということ。
息、人の芳香。
芳香といわれる心のなかの音。
それから相呼応する息、空気のふるえ、
そして私の耳のなかには緊張のほぐれたオルフェウスの考えること
オルフェウスの最初の歌。
「お聞きなさい」
「聞きます」
形成(つく)られた空洞のなかで
あがらいきれない音楽を降らせてくる
求婚者であり賞賛者、
おもいにふける川である
オルフェウス自身を、私は聞いた。
その歌は、それ自身が歌となり、始まりをも終りをも忘れ、
作為もなくオルフェウスのなかから生じた。
風はオルフェウスの誘因となり、木々の葉たちは目覚めた。
樹木たちはその枝々を豊かに広げ、その歌を運び、
ある木は屈曲しオルフェウスの手のなかでライアとなった。

あたたかな外耳のなかを流れる絵空事の自叙伝は
労せずして側近グループのなかに産み落とされ
そして突然にドラムに変わり
また変わらず、
単に私たちの間にある澱んだ空気のなかに投げだされ、
愛の耳たる
単なる受動体がそれを聞いた。

しかしオルフェウスの願いによって私がオルフェウスに触れたとき
ライアの手を止め、オルフェウスはその手で私の手を握った。
オルフェウスは私の口のなかの自分自身を味わい、そして歌は止んだ。



シリウスの乾いた熱気のなかで
おさえられ高く吹きあげる松明をとおして
ヒーメンの神がオルフェウスを私のところに導き、
正門のかたわらで
私たちは私たち同士手をにぎりあい
真実という
いかなる想像力をもこえたいとおしさで
より強く、よりしあわせに、
真実はそれ自身まっとうにつどいあい
光、ヒーメン ああ 処女性、
そしてオルフェウスはこころやすらぎ。
静寂。

オルフェウスが現われる以前の地獄のように。
オルフェウスが歌う以前は世界が緑色であったように。



いかなる後悔も私を殺しはしない。
いかなる生き物もオルフェウスの愛したものを傷つけはしない。
私は川に向かって歩く。

私はベッドに横たわる。
下り坂にあふれるあたたかな豪雨のなかで、
私たち人間でみちた何者かが行かしめあるいは引き裂き。
私たちは死んでいる。
ここから地獄へと
大雨のなかを私は来た。



それから樹木たちはライアの形となって立ちあがった。
おお、オルフェウスは歌う、おお、大きな木々の歌を。
そして森羅万象はそれ自身のなかに静まりかえり
聞きつづける。



オルフェウスはかくのごとくやってくるであろう
角型のライア、陰のなかから持ちあげられた光の故をもって
死は地獄のやわらかな静脈のなかにオルフェウスを迎え入れるであろう。
死者たちは自分自身のなかにオルフェウスの歌を聞き、そして
一本の樹木が地獄のなかに立つであろう。

7
それから、独自に、
死者たちと食事をしながら
歌いながら
オルフェウスは戻って行くであろう
そして私はオルフェウスとともに死が耳をとりまく
正門へと進み、そこで私は聞くであろう
オルフェウスの歌がやさしい大気のなかに永遠に
生き、澱まず流れるヘブルスの川のなかに輝き、あたたかな
世界の下に到達することを、
オルフェウスのライアは星々となってよみがえる。

 

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