東西南北雑記帳
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詩の翻訳技術あれこれ
何を・如何に (2)
フィリス詩に取り組み始めて既に五年、リトアニア詩に取り組み始めて二年になります。前回に記しましたが、一人であちらこちらと手を広げすぎ.結局アブハチ取らずの状況に陥ってしまっていましたが、何とか体制を立て直した、といえるかもしれません。それで、前回に引き続き 「何を・如何に」 という問題に関連して、リトアニア詩のように、一度原語から英語に置き換えられた作品と、フィリス詩のように英語を原語とする作品の翻訳について.考えてみたいと思います。
フィリスさんご自身、「私の詩はアメリカ人にも理解するのに難しいと言われています」 と仰っておられますが、その通りのことで、その表現は非常に複雑であります。それは絶えず表現と格闘しているところから来ていると.私には思われます。端的に言いますと、それは語彙の豊富性とともに.その使われている語彙自体が複雑であることによるのではないか、と私には考えられます。が、このことは.いずれフィリス詩の解説をしなければならない.将来への課題として此処では詳しく説明せず.次へと進みます。
それで、リトアニア詩とフィリス詩の翻訳が、此処のところの.二年間並行して進んできておりますので、私自身の内部では両者の翻訳過程の違いについて良く分るのです。具体的に言えば、フィリス詩を一篇訳すのに費やされる労力と時間は、一般的に.リトアニア詩の数篇を翻訳するのに相当します。それで、最近気付いたことなのですが、このことは質の問題ではなく、純粋に技術的な問題が大きいのです。それでは、この大きな違いは何処から来ているのか、という問題になります。
リトアニア大使館が掲げる英語詩の原文は,主としてリトアニア語です。つまり掲載されている作品は翻訳詩であり、原語からの翻訳は.第三者の手によって為されたものです。以前に記しましたが、原文の精確な理解なしには翻訳そのものが成立し得ません。ポイントは此処にあると思われます。つまり、翻訳者はその詩を他言語に置き換えるのに、「如何に」 と同時に 「何を」 という点に注目せざるを得ません。このようにして第三者の客観を通じて 「何を」 がより分りやすく客観化されて.提示されて来るから、その英語訳の第二次訳たる私の日本語訳の作業過程は、よりスムースにできるのではないのか、と考えた次第です。 つまり、手練手管たる 「如何に」 よりも,言語以前の叫びや何気ないつぶやきの中にある 「何を」が人々の共感と賛同を得るのだ、と言うことになろうかと思われます。
それで、 「何を・如何に」 というこの観点は.様々な問題を孕んでおり、つい最近のことでしたが、アメリカが生んだ偉大な現代詩人であり、言語の天才といわれる Cid Corman がインターネット上で実に面白い俳句の英語翻訳ページ (
narrow road to the deep north )
を展開しているのを発見しましたので、此処に紹介しておきたいと思います。幾篇か掲載されているうちからその一例をあげますと
even woodpeckers /
can't break into this
hut /
summer grove
これは芭蕉の 「木啄も いほりやぶらず 夏木立」 なのですが、(無論、訳文はすばらしい英文となっています) この英訳文の横に添えられた、日本語訳
(或いは日本語による寸感的な説明か?)
は
寂しき庵に キツツキ鳴いて 夏の木立
としてあります。このことは、既にして名声を突き抜けた存在としての Cid Corman 一流の明らかな 「諧謔」 であり 「遊び」 であって、
Cid Corman 独自の隠されたインテリジェンスの面目躍如の.意図的なものであるはずです。この原文から翻訳された英語訳、さらにその英語訳から日本語に翻訳されたものの、三者間の差違について考えるとき、翻訳者にとっての
「何を・如何に」 という問題に対して、はからずも非常に重要な問題の典型例が此処に提示されています。Cid
Corman であるから良いようなものの、「木啄も いほりやぶらず 夏木立」 という原文が他言語への翻訳を経て、再び元の日本語に訳し返されたとき、それが 「寂しき庵に キツツキ鳴いて 夏の木立」 となって再輸入されたとしたら、何をかは言わんや、でありましょう。
翻訳作業に関して偶然にも面白く、一考を払うべき事例に行き当たりましたので、ご紹介しておく次第です。
(2004.8.29)
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