東西南北雑記帳
BACK
NEXT
詩の翻訳技術あれこれ
詩における根源的言語リズム
先月末にこの Poetry Plaza
のメンバーの間で自作詩朗読の構想に急遽合意の盛り上がりがあり、それ以降、私の大半の時間と労力はこの構想の実現に向けて注がれました。この準備の過程で、以前から私のなかにあった一つの疑念が吹っ切れたような気がしますので、そのことについて記してみたいと思います。その疑念とは、まとめて言えば
「詩における根源的な言語リズム」 に関してでありました。
それは具体的にはどういうことかと申しますと、私自身の詩をもひっくるめて何か根源的で大切なものが全体としての詩の世界のなかで忘れ去られているのではないか、ということでありました。つまり、詩はそのほとんどが文字を媒介として伝達されますが、行替えの問題に始まって言葉そのものが持つ原初的な生命の律動たる言語リズムが往々にして欠落しているのではないか、という
漠然とした疑念でありました。
インターネットにアップロードのため詩朗読の音声編集を通じて私は言語の持つ生命性、あるいは言語の根源的な生のリズム、について本能的に感じ取り考えていたように思われます。それぞれのお国柄にもよるのでしょうが、ロシア・西欧では活発であるという一般的
な知識以上のものを私は持ち合わせませんが、私たち日本の社会のなかでは、詩そのものがマイナーな世界であると同じように、そしてそれ以上に、詩の朗読にポピュラー性はまるでありません。
正直な話、私自身も詩の朗読については不慣れであり、また疎遠でありました。
セットさんとの録音が終り、二三日してジーン・シャノンの録音テープが届きました。ザッと聞いて見ました。前回に記しました 「夜」
の朗読を聴いたとき、「あっれーっ、ウチのお姫様は、もう」
と私は思わず独りでつぶやいていました。その読み方がこの詩に対する私のイメージからまるでかけ離れていたからでした。この詩から私が描いていたイメージは、言ってみれば非常に東洋的な静かでしっとりとした情感にありました。
それはすでに固定化された観念として私の内部に厳然として在り、聞き終った瞬間、 「なんだいねこれは、」 私はそう思いました。
とっかえひっかえして掲載して行っても3年間は十分にある、長短100篇を超える詩篇の録音された朗読をカセット・テープからコンピユーターに移しかえ非常に神経を使いながらそれぞれの作品をカットして独立させる編集の段階になり、この
「夜 (Night)」
を聞き返したとき、ハッと私は気がついたのです。 「うつろな水、水、水のおと、ひと晩じゅう、穏やかな川」
は明確に誤訳だったのです。ジーンは朗読のなかで 「 うつろな水、水よ、水のおとよ、ひと晩じゅう、おだやかな川よ」
と言っているのです。英語には 「よ」 とか 「や」 とかいった表現も表記法もないのです。
そうした間投助詞は文字には表記し得ず、話されしゃべられる言葉のイントネーションとアクセントととによって表白されるものなのです。
この作者自身によるテープを私が聞くことがなかったら、この誤訳は将来も正々堂々とまかりとおっていることでしょう。もっとも、東洋的叙情の観点からすれば、作品としては誤訳の方が受け入れられやすいかもしれません。私の日本語訳は魏剛くんによって既に中国語に訳されて紹介されてしまっています。
(嗚呼、中国語はどうかなあ、この間投助詞の取り扱いについては?) 事態は一変したのです。そこから浮き上がってきたのは、ジーンは
ひとり川の流れる音と静かな夜と一体になって
自然とともに会話をしながら、何のセンチメントもなく、おおらかな時間を楽しんでいたのです。けれども、普通に読めば英語の朗読の中には、この
「よ」 の呼びかけである間投助詞は、出てはこななくても普通のはずです。もーぅっ!
まるで目の回るようなあわただしさと忙しさのなか、今回の詩誌・東西南北トップ・ページのJeanne Shannon Recital
への紹介文の中で 「澄んだ近代感覚のなかに独自の自然観を歌う」 とジーン・シャノンを再度私は明確に位置づけ直した次第です。
翻訳に完全性はない、私はつくづくそう思います。蛇足ですが、ジーンの 「死
(Dying)」 の私の訳と彼女自身によるその朗読は完璧です。ただし、その中の in cold October wind をしての
「寒い十月の風のなか」 を 「寒い神無月の風のなか」 にする手はあります。が、この場合は 「十月」 で決まりでしょう。
此処でまったくに論理は飛躍して別の問題となりますが、一体に全体として詩そのものが脆弱化して行っているのではないか、詩の精神が貧困化していないか、
今ごろの若い人たちは何をやっているか、詩壇と言われる場も硬直化してしまっていはいないか、平均年齢67歳のメンバーでのこのサイトをはぐくみ切り盛りしながら、私はそんなことを
ふっと思います。
なんとなく次への飛躍を秘めて、今回のこの一文を此処で一応終了します。
BACK
NEXT