東西南北雑記帳
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詩の翻訳技術あれこれ
複数言語の詩人
リトアニアからの叫びと祈りを再開してから Lithuanian Poetry
のなかに掲載されているジョナス・アイスチスの作品はすべて翻訳が済みました。この詩人はほんとうに良い詩人だと私は考えています。
引き続き今回からジュリギス・ブレカイチスの作品の翻訳にとりかかりましたが、この詩人の作品はあの当時の Lithuanian Poetry
には二篇のみしか掲載されておらず、またそのプロフィールも全く記されてはおりませんで謎の詩人でありました。その二篇とは 「あなたの魂」
と 「感覚」ですが
、私はこの作品には非常に感動しましたことは以前にこの欄で書き記したとおりのところであります。今回の再開にあったって、Lithuanian
Poetry のページを参照しましたら、更に五篇が追加され合計七篇が収録されており、そのプロフィールも記載されております。
1917年生れのこの詩人のプロフィールは独特であります(80歳にて1997年没)。父親をリトアニア人、母親をポーランド人としてバルト海沿岸のノルウェーのリゾート地であるケロマッキーで生まれ
少年のころにリトアニアに移住。ポーランド人である母親は
此の詩人にロシア語で本を読みロシア語で歌を歌ってやり、ポーランド語で祈ることを教えた、と記されております。更に第二次世界大戦末期にはドイツに移住、そして更に1949年にアメリカへと移住しております。原詩は何語で書かれているのかは記されてはおりません。けれども翻訳者の名前が併記されていることに鑑み源詩は
リトアニア語であろうと私は考えています 。
いったいにヨーロッパ大陸に住む人々は、ヨロッパ大陸にある他国の言語の人と会話をするのに話す相手のその内容のの六割かたは誰にでも理解できる、と聞いいたことがあります。このことからすると、ラテン語系統同士の異言語間では、
かなりに高い割合で分り合えるのではないでしょうか。ヨーロッパには七・八ヶ国語を読み書き
話すことのできる人はそんなに稀ではない沢山いる、とも聞いたこともあります。こうしたことがらは日本人的な言語感覚でよく言われる
「方言」というレベルからではなく、私たちの言語感覚からには想像もつかない程遠いところでありましょう。
さて、ジョイッシアンと自称し他称される人々が世界中に散っています。何ヶ国語をも自由にこなすジェイムス・ジョイスというアイルランドの詩人に影響された人たちです。コスモポリタンでもない
アナーキストでもない無論のこと信仰でも決してない、文字通り
ジェイムス・ジョイス文学信奉者としてのジョイッシアンです。
言霊思想とは私たち日本人に特有な考え方でありましょうが、そうしたものよりももっと複雑な言霊思想をそのなかに見いだしえるかもしれないのです。「フィネガンズ・ウェイク」
はこの詩人の有名な小説ですが、私はかって知人であるジョイッシアンの一人に影響されてこれを読みはじめました。何行かを読みはじめて、「あ
っれーっ、なーんだろう、この英語は」
と感じました。なんとも説明はできませんが
なにかしら独特なリズム性といったものを本能的に嗅ぎとっていたような気がします。何ページかまで読み進みましたが、
そうした一種の感動に耽溺することはありませんでした。怖くなって読むのをやめ
てしまったのです。これに染まったら本当に何処かにもっていかれてしまうような気がしたからでありす。
そんなことを背景に、私のジュリギス・ブレカイチスの詩の翻訳をこれからスタートさせますが、あれだけの二篇をものした詩人がどう展開
しているのか、自分自身にも期待感があって楽しい気分です。(8月2日、記す)
(翌8月3日 記す) 今朝起きたのは十時半で、近くの診療所に行き定期的な血圧安定剤をもらって帰り、コーヒーと共に簡単な朝食を済ませたのち、しばらくして翻訳にとりかかり、今
「人間だれにでもに必要なもの」
を訳し終りました。上記のこの詩人の経歴どおり、前記二作の文体を同じようにこれは確かに複数言語の詩人の詩であります。
原文に即しているのでしょうi少々判りずらい独特な複文構成の英語であります。但しかって私が訳したマハトマ・ガンジーのそれと比べたら、あのときよりも困難ではありませんでした。ガンジーの「神よ」の原文はヒンズー語で、それを英訳されたものを私が日本語訳したものです。それであの当時、ガンジーの名前でネット検索をしましたら、一部私の翻訳とダブッている日本語翻訳文を見つけました。これは
直訳調とでも哲学調とでもいうのか、翻訳された日本語自体が何を言っているのかさっぱり分らない。ガンジーのそれは複・複・複文構成とでもいえる
文体でありました。まあ、それで言わずもがなのことでしょうが、この 「人間だれにでもに必要なもの」
の
詩が言っていることを教訓的に読めば、生きていくためには物質にこだわって、そんなにゴチャゴチャしなさんな、周りのゆったりとした自然があり隣人もあるでしょ、自然と共にゆっくりと生きましょう、ということになりましょう。
(8月4日 記す) 夜の8時半を回っております。残りのジュリギス・ブレカイチスの詩四篇、合計五篇の翻訳終了しました。期待どおりの詩篇でありました。数多くの詩を残すより、ブレカイチスみたいに数は少なくとも読み応えのある作品を残したほうが良いかもしれません。今月の
「リトアニアよりの叫びと祈り」
に追加の五篇を収録しましたのでじっくりと味読していただければ幸いです。従って作品についての解説めいたことは此処ではさし控え、読者ご自身の読解力におまかせします。
それで、過去に著作権についてこのページの何処かで
Lithuanian Poetry
との間でのある意味ではトラブルについて書いておりますが、この件につきましては両者ともよくよく理解しあっていいると考えられますので、何の問題もありません。Lithuanian
Poetry のオーナーからは翻訳再開とジュリギス・ブレカイチスの二篇の詩朗読を英語版に収録するにつき既にくれぐれも宜しくとの旨のメールを頂いております。
私がリトアニア詩の翻訳に取り組むことになったきっかけにつきましては、これもまた 「リトアニアからの叫びと祈り」 冒頭の解説文の中で過去に書き記してございますが、出会いとは本当に不思議なものであります。求めて得られるものでもないし、無論のこと待っていてもやって来るものでもありません。それとまた、
三カ国からなる
このPoetry Plaza
は本当に世界に類をみない詩の番組となっていることは間違いのないところでありましょう。私自身、現在もそうでありますが、日本の詩マーケット
にはまったく疎く、詩壇だとか文壇だとか、肩書きや
組織には肌がなじまず、こうしたこじんまりとしたメメンバーで続けておりますが、Poetry Plaza
は英語を機軸言語としております。それでメンバー相互間の合意と後ろ盾により過去にスペイン語とフランス語版の増設を目論んで実際に動きましたが
、残念ながら成功はしておりません。
そうした経緯を踏まえて、まだ諦めているわけではありませんが最近になり、
高齢とは決していえまっせんが構成メンバーもそれぞれ皆結構な年齢をむかえております。この
Poetry Plaza もまた現行メンバーと共に俺一代だろうな、とも思うようにもなっている次第ではあります。
付け加えておかなければなりません。三ヶ国語からなるこの Poetry Plaza
のなかで、一番多くの人たちの時間と労力が注がれているのは日本語版であり、特に快くご協力を頂いておりますのは、朗読を担当して頂いているご四方であります。彼女たちはいずれも朗読暦三十年を超える経歴をお持ちの朗読技術に卓越した方々であり、いずれも視覚障害者
あるいは高齢者施設などのためのボランティアーとして目立つことなく地道にご活躍の方々であります。
黒川・松本・高見・松村ご四方のご協力とご尽力に対しましては、此処に深甚なる感謝の念を記録させて頂く次第であります。
どうも、色々な要素からなる今回のこの雑文を此処で一端打ち切りましょう。
本稿は 「複数言語の詩人」
のタイトルですので、欄外にいま一つ付け加えます。
下掲のビデオは YouTube で公開されているジェシカ・ロペス
の2006年に収録された自作詩朗読のパフォーマンスを転載したものです。英語のなかにとスペイン
語が散在しており、ユニークなアングロ・ラテンとでもいうべき言語領域が形成されています。そしてそのジェスチュア
をも含めて優れた詩朗読パフォーマンスとなっています。言葉の意味が分らなくとも楽しめる番組となって
おりますので、一度ゆっくりと楽しんで下さればとも考え YouTube より敢えて転載せて頂いた次第であります。