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第12章 光と影 (6)

詩壇論
 


詩壇というものが.現在抱えている問題の根元は
、この国の私小説的な.風土にあり 、ゴシップや覗き見的興味が.先に走るところにある。詩に限らず.広く芸術上で 、この国に真に普遍性のある.オリジナリテイが新しく生まれ得ないのは 、おそらく.ここにすべてが由来している、と私は考える。
 
およそ自由というものが.抑圧された社会には
、その社会の.支配層の堕落と同じように 、未来はない。詩は.自由の擁護者たり得るが.それのみをもって詩の役務であるとは.無論まったく言い得ない。が 、依然として.詩人たちはそうした役務を重く押し付けられているのが.現実のようではある。  
 
このことは
.一人詩人たちのみに課せられたものではない.ともまた言い得るのであり 、問題の根は深いが、この現象を.基本的に自由という問題に限って考えるとき 、そこにこそ.未来に向かって何らかの具体的な光が.見えてくるはずである 、と私は考える。
 
群を.なさなくとも良いのである
。徒党を.組まなくとも良いのである。誰かが.何処かで.明確に目覚める必要がある 。私は.詩壇といわれるものが.どのように構成されているのか全く知らないし.知ろうとも思わないが 、詩が.人間をより高みに解放するものであり.同時に真の自由の擁護者たり得るためには 、今の詩壇に.それをガッシリと引き受けられる.土壌があるか否かの 、ポイントはそこにある。