フィリス ホーゲ詩集 愛と祈りの彼方  (32)
横川 秀夫訳

BACK        NEXT

 

シャルトル


荘厳な正門の古びた石の中で聖者たちは
訪れる人々を祝福している。
雨は入口のスラブの上に霧雨のように降りかかっていて。
たまった雨のしずくは柵の横木からしたたりおちている。
扉に手を触れると、その木は夜明けのそれよりも冷たい。

内側には、くっきりとしたオリーブやラベンダーの光で
この世を愛するが故に私たちを赦し給う神を
たたえる男たちが作ったたくさんのものが見える。
強靭な大聖堂の壁はまるで生き物のように
蒸気のように私たちの息のように
人々の情念を吐き出している。

十二月の雨で他に訪れる人もなく
私はここにまるでひとりぽつんと立ち。
けれども幽霊たちはじめじめとした光の移ろいをとおして
キリストの見えない祭壇に群がり
いまだに祈りごとを呟いている。
幽霊たちにはここより他に留まるところがないのだ。
彼らの呟きを聞きながら私は沈黙の中におち込んでいく。
幽霊たちのように私にもここより他に留まるべきところがない。
恐怖という悪寒。私は震え。
聖者たちは
私をとりなし。
私は神の前に無益にもひざまづく。
私の作品はふさわしい捧げものからは程遠く、期待をうらぎり
燃えながら私はそのうらぎりを負い
そして、ぎこちなく見上げながら涙を捧げ、
窓の中に
消滅し、動かない運命の車輪は
明るさの方向に移行する。どのようにして
彼らは柱を宝石でちりばめ
この古代の木彫りの彫刻に溢れた暗闇に
蒼い色彩をかき混ぜこんだのか −−
神に捧げられたもっとも偉大な男性の作品のすべては
幾世紀もの間、労働によって保存され生きている。
こうした幽霊たちは強靭だ。

だけど彼らにはそれで十分だったのだろうか?
勤労によっていつくしまれ変えられる私たち −
けれどたとえ勤労が私たちを救済するとしても −
生命にとってそれで十分なのだろうか?
ああ、私たち人間愛の埒外で
     私たちが歩き回る
高み
私は
私の手の中にある
       それ以上のものを
      信じたい、
それは光の使節たち

もしも赤い果実がリンゴの木から風で落ち、食に供されたにしろもしも私たちが神の楽園を去り悩みあるいは泣いたりする必要がなかったにしろ、私たちが最も愛するすべてのものを失うことがなかったにしろ、とりもなおさずこのシャルトルを訪れまいとしただろうか?
私は知っている私は裸身であり
    勤労せねばならず
  ひとり
死んでいくであろうことを
けれど私は一度与えられた運命に立ち戻りたい。
               いまだ
          畏怖すべき神
この私をお赦したまわんことを。

 

BACK        NEXT