東西南北雑記帳
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このサイトとメンバーの近況など
考えてみましたら、このサイトのメンバー5人の平均年齢は67歳であり、「青春の文学」
と言われてきた現代詩においては、驚くべき高齢者のサイトとなっています。然しながら、私にしろ他のメンバーにしろ、その創作意欲は衰えるどころか、益々旺盛となっています。このこと、不思議な現象であると言って言いすぎではないと思われます。詩壇というものの情報に疎く、またそうした動きにはまるで無関心でもある.私の個人的な性向もあるのですが、折につけて目に入ってくる様々な詩に対して.感動を憶えることは私にとっては極めて稀で、私たちが生きる豊かにすぎる今のこの時代は、いったいに詩のない時代.或いは詩の死んでしまった時代ではないのか、とすら私には思われます。そうしたことはさておいて・・・・・、
メンバーの重鎮である Phyllis Hoge Thompson は近年、詩集
「ジアン・フイからの手紙」、長篇小説 "The Painted Clock"
をたて続けに発表し、更に現在79歳にして次の長篇小説を執筆中であり、その間に書かれ今も書き続けられながら.その都度私宛に送られてきている.未発表の新作詩篇はまたたくまに32篇を数えています。私は現在、フィリス詩と並行してリトアニア詩の全篇の翻訳途上にあり、翻訳作業には手一杯の状態でありますので、お預かりしている彼女の新作詩篇は.もったいなくも宝の持ち腐れですが、急ぐことはない、いずれその全訳が終ってから、と考えている次第です。
昨年末からこのサイトに参加して頂いている私の30年来の友、植木洪祐氏(62歳)は、毎日オステオパスとして患者の治療に当り.疲れきって一日を終り、時に少々の酒を汲み眠りにつきます。朝起きるのは早く、庭の花々の手入れをし、そんな多忙な合間に、驚くべきことには.人知れずまるで宗教行の如く、毎日確実に一篇の.真剣で優れた詩をものしています。詩人を自称し.または詩人と称される人々にとっても.およそ信じられないでしょうが.コンスタントに続いているこの事態はほんとうのことです。
Jeanne Shannon
(68歳)は散文詩に限定してその創作に取り組んでいますが、私があまりにも新作詩、新作詩と毎月毎月彼女をプッシュしてきたものですから、現在の心境と現実は、最後のライフ・ワークなのだからあまりイレギュラーな世事に煩わされたくはない、創作に没頭できるよう静かにしておいて欲しい、その代り.旧作であれば.既に出版されているものの中から自由に掲載してくれてよろしい、とザックバランに言ってきております。(友人から聞いた話ですが、アメリカでの平均寿命は.日本のそれよりも10歳短いそうです。)
それで、先月号のトップページの "Poem of This Month"
の欄では3人の旧作からメドレーでそれぞれの死に関する短詩を連歌式に組み立ててみました。私はチベットでの鳥葬についての自分の短詩を選んで載せましたが、
老いた花のごと / 寒い十月の風のなか / わが茎を浮遊しさってわれ / 行かん
と、極めて日本的な情感のなかに己の死を歌う Jeanne Shannon と好対照的に Phyllis Hoge Thompson は
蒼白いサンゴ色 / 熟れきって道端に / 落ちるまえ / 霜月の柿の実は / 炎えあがる
と、歌います。それぞれ、年輪を経なければ決して出来てはこない.独自の死生観が提示される結果となりました。この連歌中の私の作品に関しては実のところ鳥葬に関するものっではなく、同じ題
「無題」 の
名もなく / 実もなく / 何もなく / 心おきなく / 静かに / 死にたい
の予定だったのですが、登場するメンバー三者間の独自性を強調したほうが良いと思われ、アップロード直前に急遽、掲載の 「無題」
鳥葬は / 無二絶対の / 厳粛にして最高の儀式だ / 火葬は / つまらない /
科学だ
に切り替えた次第です。
上記、平均年齢の話から始って.死に関する連歌についての記述は、詩 (現代詩)
は決して青春のみの文学ではない、ということを言いたかったからです。無論 Phyllis Hoge
Thompson は7歳にしてその詩才能を認められており、Jeanne Shannon
もまた母親の影響から.幼いときから詩に親しみ.詩に目覚めておりました。詩の才能は早くから現れるという.そうした公式的な傾向は別問題として、詩は年齢と共に変化し.また深まって行くものである、と私には思えます。(その典型を私は草野心平の詩の生涯の中に見ますが、このことについては折がありましたら.何時の日にか別稿で触れるつもりでいます。)
ただ、詩の書き始めの年齢について言えば、面白いことに、私の場合のそれは30歳頃であり、植木氏のそれはなんと60歳近くなってからのことで両者とも異常なほどに晩生であります。
それから、今年に入ってからこの詩のサイトは.基本的な部分で大きな変更をしました。それは、一つには毎月1日に更新のできるようにサイト全体の態勢を整えたことと、また一つには、各人の作品は前からの作品群に追加して掲載されるのではなく、その都度
「読みきり」
の形で掲載されて行くことになりました。このことは、発表する側にとってはその都度が勝負となり.非常に怖いことなのですが.敢えて踏み切りました。その度ごとが真剣勝負です。また、アクセス・カウンターを取り外しました。これはサイト運営の過去5年間の経験から、このサイトにとって.アクセス・カウンターはなんら指標たり得ない.また定期的更新を目指す姿勢にはかえって邪魔、との結論に達したからです。
かくして、このサイトは従来どおり、世界の偉大な人的遺産たるマハートマ・ガンジーの未発表明言集全文を掲げ、未曾有の苦難をはねかえした.リトアニアからの叫びを紹介し、メンバーの詩作品を提供しながら、あらたに単なる一つのオブジェとして、雑然として多種多様な情報の氾濫する.インターネットの大海原の中に投げ出されました。
それにしても、このホームページを立ち上げたころ、インターネットに憑りつかれたマニアにはなりなさんな、というある知人からの言葉を思い起します。確かにコンピューターというものは、ある面では大きな玩具で、at
Dawn
の英文のみのサイトから出発し、その後に日本語サイトを増設し、また大変に優れたメンバーにも恵まれ、様々な試行錯誤の果てに、やっと現在の一つの定型にたどり着いた、という気がします。インターネットが誕生して間もなく、目まぐるしく変ってきたコンピューターの標準と共に、5年という歳月を費やし、画面の基本的レイアウトとデザインも確立し、これから更なる内容の充実を目指す基礎が確立した、というところです。
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