詩の翻訳技術あれこれ
インターネット上の著作権とその周辺
漢字の世界の続編はまたまた先延ばしです。理由は今回の5月1日更新によって、急遽新しい番組である 「私たちの名詩朗読喫茶室」
のページが増設されるからで、そのことについてご紹介し記録しておきたかったからです。この新番組は現在朗読をして下さっている松本さん、黒川さん、高見さんお三方の共同ページとして設定しました。私たちは次世代の人たちのことをも考えました。温故知新という格言があります、それでいまだ新しい古き良き時代の詩作品を読者ともども考えてみたい、との発想からこの番組はスタートしました。初回の詩篇は私が選びましたが
、次回からはお三方の好きな詩を選び相談しながらやって行く予定でおります。
それで、先ず問題になりましたのは著作権についてであります。このテの法律問題に関する私の歴史は古く当初のそれは三十数年ほど前に、当時手がけていた輸出用のグラス・ファイバーの釣竿を作るための芯がね(マンドレル)に関する
製法特許権の問題を特許庁に相談
し解決し、次いで十四・五年前のことでした。当時ディアーロというギニアの内陸部で育ち、カイロで回教の神学を学び、英語の言葉づかいもマナーもきちんとした、非常に優秀で敬虔な回教徒の好青年でした。無論、家族ぐるみの付き合いで彼が我が家に持ち込んだのはケンケレバというアフリカ茶でした。この件ではギニアの駐日大使ともお会いし話しましたが、事がうまく運んでいれば私は現在ギニアでこの茶の栽培とその製造工場の運営に取り組んでいるはずです。まあ、それで
"at Dawn"
は私の英文詩集の題ですが、この題はそのころケンケレバ茶で世界を席捲しようと、アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリヤ、日本の各国に商標
"at Dawn" の意匠登録の申請をしました。その折にこれら各国の特許法の法文をそれぞれの国の特許庁から取り寄せましたが、
当時驚いたことは条文も要求される様式も全くに共通であることでありました。
次に数年前、フィリスさんの全詩篇をこのサイトに掲載するにつき、著作権の問題になり彼女もインターネットという新しいメディアと著作権の問題について身近な友人と徹夜で議論したけど、どうも判らないことばかり、でもまあ私たちの場合には関係ないから良いでしょう、ということでスタートした次第です。
それに続くシャノン作品にもセットさんの作品の場合も仲間内のこととて著作権のことについては何の話題にもならず、ただ、
著作権に関する注意事項のセンテンスは書籍などから転用し、これを必要とされるページに記載した次第です。
次いで、リトアニア詩の翻訳に関し、リトアニア大使館に掲載されている詩篇の版元を主張する人物からどうも良く判らないメールでのクレーム。カナダにいるローレル女史に電話を入れ彼女の考えを聞く。版権についてのクレームじゃないの、版権というものは確かにあるのだから、
だけど詳しいことは判らないという答。アメリカ在住の版元とのメールのやりとり。
何のお話でございましょうか? 当方は翻訳の開始に先立ち駐日リトアニア共和国大使館にことわりを入れてあります、問題があるようでしたら大使館を通じてのお話にして下さい。これに対し要は、同じなかまなのだから出版されてお金になったらその収入を分けてくれというこまごまとした私にとっては何ともな要求でありました。
真の文化とは広く共有さるべきものであると考ええますので、私には広く開かれたインターネットに公開したものを商業ベースでの出版に切り替える意志は現在も将来も全くに無い、との確たる文章を返信した次第でありました。
次に一昨年のことでしたが、私の英文詩 "An Afterimage"
が何の連絡もなくTシャツと布バッグにプリントされまた絵葉書として米国内で売り出されておりました。この作品は
National Library of Poetry
の1998年11月度のコンテストでセミ・クラッシック部門の最優秀作品として選ばれたものです。
5年後の一昨年、偶然にその宣伝広告をインターネット上で発見したとき、これは良い宣伝になる、と私は笑いました。ただ
National Library of Poetry
に対しては良い宣伝をしてくれて大変に有難うとの率直な感謝のメールは入れておきましたが、そのうちにその商品はインターネットのマーケットから姿を消しました。私には記念の立派な賞状は残りましたが、リトアニア
詩の件にしろこの件ししろ正直な話、アメリカとはそういうお国柄なのだろうとのグチにもならない一抹のつまらなさは残りました。無論これら上記の2件ともども、私にとって全くのお笑いぐさのお話ではありますが。
それで今回7月1日より変更される "Poem
of This
Month" で朗読される他の詩人の作品についての著作権問題がメンバーの中で問題になりましたが --- 最近では、或る大手アメリカ企業と日本側の中小企業との大きな独占輸入販売取引の基本契約をその折衝をも含め、主張すべきところは主張し譲るべきところは譲り
、互いに条文を変更して卒なく
取引を成立させ、海運ではオイル・タンカーのシップ・ブローカーという仲立ちとしての高度な駆け引きの交渉能力が必要とされる仕事を長年こなした経験を持つ、私がやればことは簡単、
素人無用、私がやりましょう、で一件落着。日本国内ではこうした問題はモデレートな良識のあるものであると考えられますが、版権の考え方も違い個人的権利主張のぶつかりあいの甚だしい米国では事態は複雑で日本的な常識ではなかなか理解できない部分があります。
著作権にかかわる私の過去の経験の幾つかを上述しましたが、私の法律に関する基本的な考えは、法律とは常識であり現象対応策にすぎない、とするものです。法律とその運用は非常にしばしば不思議な言語の錬金術であることを私
たちは知っています。このことを記しましたのは法を軽視するものでは決してありません。無体財産としての著作権の運用は時に文化という大所高所の考えから逸脱し、実に安易に目先の経済的利益の主張にその根源を置いているものなのだと私には考えられます。事態は時として文学・芸術の公共性あるいは共有性
、また名声・名誉をも含め非常に複雑な側面を呈している、と私には考えられ
ます。
まあ兎に角、こうした背景を踏まえて 「私たちの名詩朗読喫茶室」
はスタートしました。二・三日考えた末に、私はとりあえず三篇の詩を選びました。現行の著作権の期間は著者ないしは翻訳者の死後五十年間有効です。選ばれた詩の原作者である高村光太郎はこの四月二日の連翹忌で没後五十年を過ぎたばかりです。ヘルマン・ヘッセも与謝野晶子も既にして没後五十年を過ぎています。問題はヘッセの翻訳者ですが、インターネットの検索によれば
、ドイツ文学の権威である翻訳者の高橋健二は1998年没です。「新ヘッセ詩集」
の出版元に電話を入れ非常に迅速で快い著作使用の合意は既に取り付けました。ところで、この一文の主題は 「詩の翻訳技術あれこれ」
であります。それでは以下、主題に移りたいと思います。
ヘルマン・ヘッセの 「霧の中」
は、私が高校生のころに行き会った私にとっては非常に大切な詩であります。あのころから半世紀近く経った今でも全文を暗誦しています。けれども3年前に現在の1DKの部屋に移る際にほとんどの書籍や生活必需用具を処分してしまいました。不要な物質を処分して現在は無駄のない必要にして十分な極めて簡潔な生活を享受している次第ですが、処分された夥しい物と書籍のなかにヘッセ詩集の文庫本も含まれておりました。今般の朗読のための出典は図書館から借り出した弥生書房刊の高橋健二訳
「新ヘッセ詩集」
です。この本の訳文は私の諳んじているものと少し違っています。私の諳んじているものの第一連を左側に、本に記録されている訳文を右側に示せば
不思議だ、霧の中を歩くのは 不思議だ、霧の中を歩くのは
どの藪もどの石も孤独だ どの茂みも石も孤独だ
どの木にも他の木は見えない どの木にも他の木は見えない
みんなひとりぽっちだ みんなひとりぽっちだ
上記に見るように、二行目だけがちょっと違っているだけで、"藪" と "茂み" という単語の相違があっても私には気にはな
らず、第二連と第三連でも同じような違いがあり、本文では私が暗誦しているものよりも、言葉のリズムもメロディーもより締まったものになっていることに気づいた次第です。けれども第四連に至って私の目は釘付けになりました。次のようになっています。
不思議だ、霧の中を歩くのは 不思議だ、霧の中を歩くのは
生きるとは孤独であることだ 人生とは孤独であることだ
だれも他の人を知らない
だれも他の人を知らない
みんなひとりぽっちだ
みんなひとりぽっちだ
日ごろ翻訳に頭を使っている私にはこの最終連の二行目の、私の記憶のなかにある "生きる" と本文のなかでの "人生"
との違いは大きく,、新稿の "人生" に従えばこの詩は教訓的なニュアンスが強くなり、一方旧稿の "生きる"
には思索的なニュアンス
がより濃くなりましょう。訳者の内面での葛藤も私には判る気がするのです。私は腕を組み考えこまざるを得ませんでした。この
「新ヘッセ詩集」 の初版が出版されたのは昭和38年となっています。私がこの 「霧の中」
を最初に読んだのは高校2年のときですから昭和35〜6年です。私の諳んじているものは旧稿だったのでしょう。
ここで問題は他の部分は兎も角、"生きる"
を何とかして生かしたい、ということでした。ところで、日本語の表記法とは実に素晴らしいものであることに私は気づきました。「人生」 に
「いきる」 とルビをふることで問題は解消されることに気づいたのです。 このルビについての厳密な意味での著作(権
)についても考えてみましたが、訳者が同じでその旧稿と新稿との間であり、通常の考え方から言って問題はないであろう、と私は結論づけた次第です。
ルビという日本語の表記法を採用していれば訳者はおそらく新稿の "人生" に "いきる"
というルビを振っていたのではないか、と私には思われなくもありません。("人生" ですと教訓的なニュアンスを帯び "生きる"
ですと思惟的ないし哲学的であります。)
翻訳に限らず、こうしたことはよくあり得ることです。ちなみに現在私が翻訳過程にある草野心平の "Bering-Fantasy"
は、当初は4連からなっておりましたが、作者は後にその第3連を削り、全体を3連に縮めて定稿としました。無論、私の翻訳も朗読も定稿に従うことにしています。なぜなら、
初稿の第3連を思い切って削った定稿の方が確かに壮大な宇宙的生命感が凝縮されていて素晴らしいからです。
よかろう、時は来て天は晴れたり、わが心平を引っさげて打って出るに憂いなし、ヒノキの舞台は整った。--- そう考え
ています。
蛇足ですがさらに類似の例を付け加えますと、私の手になるフィリス詩の
「ヘルミオネ」 の訳文のなかで、「存在」 という日本語訳に私は 「プレゼンス」
とルビをふりました。この英語原文と私の日本語訳は6年前に米国の教育テレビであるPBSテレビの電波に乗り全米に放映されたものです。フィリスさんの自作詩朗読のPBSテレビ番組は2本あって、一本は英語のみで一本は日英バイリンガルの2本でそれぞれ30分番組となっています
。が、その二本とも全米に放映され、およそ米国に於いては極めて限られた少数言語である日本語が詩の朗読番組で全国ネットのテレビ網に乗った
ということは驚くべきことです。それで 昨年からこれら二本の番組の音声を "Sound Poems"
のページに載せていますが、そのなかでこの 「ヘルミオネ」 の日本語朗読は私の翻訳どおりのルビに従い プレゼンス と朗読されておりました。
が、どうも聞いてみて私自身落ちつかないのです。それで、最近になってこの朗読を松本さんにお願いし、件の部分を 「生存・プレゼンス」 と両語立てで読んでいただきました。その結果、これで良い、と私の気持は落ちついた次第です。
それにしても誰が発明したかルビという日本語の表記法というものは、複合的で非常に良くできた表記法である、と思います。
と、いうことで漢字の世界の続編は次回に持ち越しました。長文へのお付きあい大変に有難うございました。
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