東西南北雑記帳
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詩の翻訳技術あれこれ
サミュエル・ウルマン詩 「青春」 にまとわる雑感

  このページを一番最近に更新しましたのは昨年の9月1日のことであり、気がつきましたら九ヶ月もの間更新されることなく放置されておりました。 昨年9月に新しくなったこのページのレイアウト・デザインを改めて見てみますと、 従来書き足し書き足しして続けてきた膨大なエッセイをプールすることなく毎月読みきりの形で刷新して行くことを当時は考えていたようです。インターネットの世界で古い記事を長く放置するのはサイトのためにも良くはない、と常々考えていたことをも思い出しますが、日・英・中国語版の全体で二十数ページを毎月定期的に更新して行くことの大変さは、ホームページを運営されている方には容易に理解して頂けると思います 。けれども それぞれのメンバーが非常に協力して下さっていることを考えれば、自分以外のメンバーのページの更新を優先せざるを得ずまた詩をメインにしたサイトですのでついついこの エッセイのページは後回しになってしまっていた、というのがその背景です。ちょっと手を抜くとあっという間にそれがダラダラと続いてしまいますが、10年近くも続いている このサイトですので幸い更新の技術も整理されてきています。それで、このエッセイのページも予定通り毎月ページ定期更新の体制も整いつつあると考え ている次第です。気がついてみましたら今日は6月1日、衣替えの日ですね。

  それで、先月は 「私たちの名詩朗読喫茶室」 にサミュエル・ウルマンの 「青春(Youth)」 を掲載しましたが、この原文には二つあることをそのページに注記しましたのでご参照頂ければ幸いです。 この詩への熱狂的なファンは非常に多く、青春ないしサミエル・ウルマンで検索をかけますと、驚くべき多くのサイトが表示されてきます。それで これらのサイトの内容を俯瞰してみますと、この詩の原文に二種類あることの背景も容易に推察され理解できます。さらに、日本語訳文も非常に多数あり 検索結果は大変な熱気と活況を呈しています。「何を・如何に」 表現するかは分離できない詩の両輪となっていることはこのエッセイのシリーズのなかで多角的に過去、何度もくりかえして分析・説明してきましたが、この事態は が表現されているかということの大切さについて、多くの読者は敏感にそして正確に見抜いていることを示している、と私は考えます。事態は混乱ではなく正に百花繚乱ということになりましょう。

  一個人としての私は正直な話、「Youth」 の詩の技法を私はそれほど高く評価をしてはいません。けれども現代詩に取り組む詩人たちもフィーバーとして目を瞑ることなく 、真実 「何を」 表現するかについて以って謙虚に銘すべき厳粛な事実が提示されている、と考えなければならないと思います。有名無名を問わずこのことは、私たちのこの列島は混乱ならまだしも、私をも含め 、まるでいい加減な詩人たちのたわごと表現に満ち溢れていることは間違いのない事実であると私は観測しています。もっと端的に分りやすく言えば、時代は何処かの方向に向って明確に動いていて、七五調はもとより朔太郎的な叙情(センチメント)の世界はもはや古きに過ぎ、<菜の花や月は東に日は西に> とする日常生活のなかでの高度な宇宙感覚から乖離した取って付けたような宇宙科学用語の濫用ももはや機能し得ないのです。右翼思想も左翼思想も宗教思想ですら何かを創りだす機能をもエネルギーをも完全に失って死んでしまっています。 知的・情緒的頭脳肥大症候群にも付けるべき薬など無論あるはずがなく、詩人などという特殊な能力を有しているかに喧伝される存在もハナっから何処にもまったくにこの国には無いのです。じっさい我ら何処へと赴かんとしているか? 、私はそう考えています。

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