東西南北雑記帳    BACK    NEXT

詩の翻訳技術あれこれ
ナンダラウアレハ

(I)

以前に私の未完の短詩 ナンダラウ アレハ ナニカガ アソコデ 光ッテイルについてこのシリーズで記しましたが、今月の定期更新の新私小説日記のなかに再度掲載しました。これは英語版のページのなかの私の新作詩 Total Directions に連動したものでありますので、そこいらへんの経緯を記しておきたい、と思います。

光の靄のようなこのイメージは、恋愛詩の形をとって一度具体化しましたが、更に何処か私の無意識のなかの深いところででまだ続いていたようです。長い間考えていたゴータマ・ブッダについて覚え書きとして完成させ、ほとんど並行して英語訳を完成させるのに三ヶ月という短期間で終了させ得ましたのは自分自身にとっても驚きでありました。その代り、大変なエネルギーと集中力とが費消され、こうした集中度は私にはかってありませんでした。このイメージは覚え書きのなかのマーヤーの章のなかにも現れてきておりまして、今回英語版の定期更新にあたり、このナンダラウの短詩は 「*」 の記号をタイトルとして他の二編を従えた形で掲載しました。

ゴータマ・ブッダに取り掛かる前から私は慎重を期しました。それは徒に所謂宗教論争に巻き込まれ煩わされたくはない、という考えからであり、まして世界に向けた 英語での発表の場を控えていたからです。

これら三篇の短詩をまとめて追加掲載をしましたのは、それなりの理由があります。私は一篇だけの詩をもってその詩人を云々することはできないと考えています。ゴータマ・ブッダの生涯を楽しみながら 読んで 頂きたいという考えから出発し、更に仏教の根底に横たわる哲学にも気づいて頂きたい、との考えから、これら三つの短詩は 補足的に付け加えて発表されました 。英文詩集"at Dawn" を発表してから奇しくも丁度十年の歳月が過ぎ、今回の長編叙事詩 "Nirvana" と共に私は再 び世界を賭けました。

宗教の世界で私は生きてはおりませんし私は宗教を弄ぶものでもありません。それにしても、ナンダロウアレハ、何カガアソコデ光ッテイル という私の内部のイメージは まだ新たな展開を含みながら折につけて私個人の旅と共に続いて行きそうです。

なお、原文は 「ゴータマ・ブッダ覚え書き」 のタイトルの下で日本語ですが、英語版 "Nirvana" (涅槃)では日本語原文のおよそ三分の一近くは割愛され、行替えも英語の呼吸に従って整えられています。それにしても 使い慣れた母語での表現とは如何に饒舌になりやすいか、についてつくづく考えさせられた次第です。 何時ものように、英文は Poetry Plaza の同人でありますフィリス・ホーゲ博士の最終的な校訂を経てリリースされましたが、振り返ってみましたら、この十年間に彼女から具体的に詳細かつ綿密な詩の英語翻訳の指導をうけてきた結果、特に最近その集積として、大変な翻訳技術を身につけていることにも気づいた次第です。詩の翻訳技術とは、間違いのない言語感覚の下、絶え間のない修練と実践そして高度な指導によって齎されるものであり、実践を通してしか得られないのではないか、と思われます。

(II)

世界の詩の流れのなかで日本の詩はどういう位置を占めているのだろう、と最近になって考えるようになりました。現代詩に関しては日本は圧倒的に輸入が多く、他言語に翻訳されて一部は海外にも紹介されてきているのでしょうが、寡聞にしてその実態を知りません。が、私の個人的な経験からして英語圏からの反応に関しては、全体として日本の現代詩はあまり評価をされてもいないし知られてもいないようです。

その原因の一つは訳者の翻訳能力にあることに間違いはありません。下手な翻訳はかえって危険なのです。このことは外国語詩を日本語に翻訳して紹介する場合にも当てはまるものです。言語を学問であるとする一般的な風潮がその一つの原因ではないか、と も考えられます。何事につけても交際化の進んでいるなかで、考えて行かなければならない事柄の一つでありましょう。それにしても構成メンバーの多様性 と詩の朗読という音声ファイルの搭載もあって英語版 Poetry Plaza へのアクセス数は三年で十万を超えており、驚くべき現象ではあります。

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