東西南北雑記帳
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詩の翻訳技術あれこれ
挨拶詩
前回にこのページを更新しましたのは2009年の10月と記録されておりますので1年半もの間放置されていたことになります。またこのページを始めようかと気がむきましたのは、たまたま疑問符
(Question mark)
を 「はてなマーク」、感嘆符(Exclamation
mark) のことを 「びっくりマーク」
と巷間では呼ばれていることを知ったことがきっかけになりました。庶民の知恵とでも言うのでしょうか、なんとも味のある表現だと思います。そんなことを考えておりましたら、そうだ俳句のなかの挨拶句について書いてみようかな、と
何故かマークのことには何の関連もなく思った次第であります。
俳諧のなかでの挨拶句の定義は、連句において主客が発句(第1句),亭主が脇(第2句)を担当し,挨拶をかわす心でよむ、ということですが、私がここで言う挨拶句とは、こうしたルールに関係なく文字通り挨拶のための短詩のことです。従ってタイトルは挨拶詩、としました。現代詩には献詩(詩を捧げること)という表現もありますが、振り返ってみますと私はこれまでにかなりに沢山の献詩といわれるものを書いております。けれども私はそれらの詩を挨拶詩と呼ぶのが一番良いのではないか、と考えるようになりました。詩を捧げるなどというと、なんだか大袈裟で窮屈
であるようなな気がするのです。
さて、この三月から Poetry Plaza に水崎野里子さんの参加を得ましたが、水崎さんに差し上げた挨拶詩は英文でタイトルは
"In A Journey" (長旅のなかで)ですが中学生でもすぐに分かる平易なもので、次のようになっています。
By chance,
we met in Buddha Gaya
I said to you
"Good day. How are you?"
You said to me "Yea, good. How are you?"
And,
our communications started.
おそらくこの詩は日本語への翻訳は不可能なものの一つあると私には考えられるのです。その理由は How are you?
をどう訳すかにあります。日本語に直訳すれば 「あなたの(状態は)どうですか?」
となりますが、通常挨拶言葉に使われる How are you? なり How do you do?
などには文字どおりの意味はない習慣的な挨拶言葉であると考えてさしつかえないのです。英語表現はいったいに非常に具体的です。How
are you?
と問う側は特に具体的に相手の状態を問題にしているのではないのです。それは挨拶言葉の習慣なのです。日本語で言えば 「やあ、どうも」
といった軽い意味でとらえて良いのです。教科書などには返事として
"I'm very fine, thank you. And you?"
などとして出てきます。それは間違いではありませんが、通常の返事としては、"Fine" と言いながらちょっと頷いて単にオウム返しの "How are you?"
と答えるだけでも良いのです。"How do you do?" も同じように考えて差し支えないでしょう。
ただ "How do you do?" は初対面のときの挨拶ことばであるとは私の英語を学んだころの定説でしたが、そうであるなら
"Very nice to meet you"
のほうがポピュラーで礼儀正しい挨拶のような気がします。ちなみに、久しぶりに会ったときには "How have you been? という言葉があります。
いったいに話言葉は言語の違いに関係なくその時その時の状況で非常に臨機応変でありましょう。
ちょっと思い出しました。私たちの日本語では繁く 「すみません
」 と言います。この繁く使われる言葉には二つの意味があります。一つはご迷惑をおかけして申し訳ないという謝罪の意味と、お手数をかけて有難うございましたとい
った
感謝のった意味で、両者は同じ言葉でもまるでその真に意味するところが違っています。私のある知り合いが一種のホームステイでのな滞米中に "Sorry"
を感謝の気持で連発していたら奇異な感じを相手に与えていたみたいだった、という嘘のようで本当の話があります。「ああ、それは
言い方はいろいろあるけど
"Thank you" とか "Thanks" でしょう、そう言ってればよかったのに」
で笑い話に終りました。日本語とは曖昧な言語であると私はことさらに考えてはおりませんが、心を運ぶツールとしての英語会話については注意しなければいけないかな、とも思うのであります。ちなみに、
Thank you" にたいす応答では「どういたしまして」 として "Not at all"
が教科書的規範となっているようですが、私はほとんど聞いたことがありません、"You are welcome" が一般的なようであり 、贈り物を受けたり
した心のこもった親切に対しての有難う
に対する返事は "That's my pleasure"
とか単に "My pleasure" が良く使われている返事のようです。
それから "Not at all! の代りに "Never mind"(きにしなさんな) も良く使われます。 いずれにしろ英語で
は日常会話においても常に具体的であります。
またちなみに私は中国語にはチンプンカンであります。それでもまあ兎に角、ニーハオという切り出しの挨拶言葉とシェーシェとツァイチェンだけは英語なまりの中国語でするのが板についているようです。インドの人たちについてはナマステ。オーチンハラショー、ダビスダーニ
ヤ、とんだお笑話ではあります。
なお、上記の詩のなかで Yea,
good として答えていますが、この場合の good は体調も良いし天気も良いし、というダブルの意味合いをも
もっています。それから、ブッダガヤで偶然に出会った(By chance, we met in Buddha
Gaya)と記していますが、本当に旅の途中でブッダガヤで出会ったものではありません。これは Poetry Plaza
に掲載された水崎さんの詩 At Buddha Gaya
に呼応したものです。連句や連歌の付かず離れずそれぞれの詩が繋がって進行して行くという方法論には学ぶべきところがありましょう。
詩の翻訳技術あれこれ
リトアニア詩の再開
これもまた長い間休眠しておりました 「リトアニアからの叫びと祈り」
を再開しました。詩の選択は無作為にまた気の向いた折に為されてきておりました。このスタンスはこれからも変らないと思いますが、今まで無作為・任意に選択して参りました詩篇を振り返ってみますと、一つの線がおぼろげながら現れてきているような気がします。それは、国
家とはあるいは大地とは何だろう、という素朴な思いであります
ー このことはは非常に重たい命題でもあります。
リトアニア詩の特質は庶民的な民謡に根ざしていることは 「リトアニアからの叫びと祈り」 のページの冒頭に解説されておりますが、確かにこのことは田園的な風景詩のなかに色濃く現れているように思われます。この観点から私はジョナス・アイスチスの
「アンダンテ」、カジス・ビンキスの 「スイレン」 そしてジャニーナ・デグタイテの 「ある日の午後」
を高く評価するものです。現代詩はそのスタイルにおいて、また「何を・如何に表現するか」という観点からみれば、古い新しいはあまり関係がないと思われるのです。
いずれにしろ、緒に就いたばかりのころにスランプに陥り、長い休眠の後の再開ですが、まあボチボチ続けて行こう、というところです。
継続して宜しくご愛読のほど、お願い申し上げておきます。
別件になりますが、付け加えさせて頂きます。このサイトで 「くつろぎのひととき」
の写真番組を提供して下さっている高須賀さんがインターネットのメディアを通じて世界中のカメラマンたちが競い合う Flickr というフランス
のサイトの写真コンテストで賞を得ました。特に
"Seasonal Flowers in Japan"
のなかに掲載されている12月の椿の写真は逸品です。氏の澄んだ感性と知性が見事に円熟して画面に凝縮されています。是非ともゆっくりとご一覧のほど。
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