東西南北雑記帳    BACK    NEXT

詩の翻訳技術あれこれ
詩の朗読

一昔も二昔も前のことでありましたが、アメリカにいる友人がたまたま来日しましたので、池袋の駅前の音楽ホールでサンサーンスの交響曲第四番 「オルガン付き」 を一緒に聞きに行ったことがありました。日フィルの演奏だったと思います。 この曲はそのしばらく前にインドのズービン・メータ指揮によるニューヨークフィルのレコードによって一躍世界の音楽ファンを沸かせたものですが、演奏 を聞き終って私の友人の感想は、日本のクラッシック・ファンのマナーの良さはニューヨークでも聞いていたけどまさかこれほどまでだとは思わなかった、演奏中には咳ばらいの音もなかったよ、あちらではときとしてオーケストラにあわせて歌いだすようなとんでもない奴もいるんだ、、と言っておりました。

この話を枕に置きましたのは詩の朗読会場の雰囲気について考えてみたかったからであります。 Poetry Plaza のリンクページ 「We  Recommend」 にジェシカ・ロペスのYouTubeによる朗読パフォーマンス転載してありますが、三題あるうち2011年にケッスラ−劇場で収録された朗読パフォーマンスについて少し解説めいたことを記してみたかったからです。彼女は結婚しており 夫との間にできた9歳になる女児をかかえておりますが夫との間では法律的な籍を入れてはおりません。それにはそれなりの考えと理由があってのことでありましょう、それでこの詩のなかにもでてきますが、父 親が自分の恋人(夫)を受け入れることを拒否したから私は私自身の父親を拒否した、をれで、そんな地獄から逃れたかったから 車で15時間もかけてルイジアナ のシュリンプポートに逃れたの。

問題は、そのくだりが出てきたときに会場から "Stops?"(その間休憩は何回とったの?)といった声がかかります。とたんに "Stops?"(えつ)と言いながら 即座に片手をあげ人差し指で一回だけ(Once)と反応しますがすぐに、うぅーん、二回、と指を2本たててのアドリブが続きます。これは無意識のなかでの大変なパフォーマンスで会場のちょっとした合いの手にも素早く反応しています。 このこと、彼女は大変な役者だと言わなければなりません。 これで緊張がほぐれたかその後は彼女の真骨頂、大変な演説調子で謳いあげ、会場もなごやかではあってもその朗読に 真剣に耳をかたむけている様がよく記録され見てとれます。こうした雰囲気を持った詩の朗読会を私は経験したことがありません。如何にもアメリカ的な会場の雰囲気ではありましょう。 詩の朗読の方法にもいろいろあり彼女の自作詩朗読のパフォーマンスが高く評価さるべきであるとする私の考えの一つはそこに由来しております。

ジェッシカ・ロペスは昨2011年5月に第一詩集を上梓しておりますが、私から 「クレオパトラ」  朗読の依頼に関した合意に上に立って、 おっかけ電話にてポエトリープラザメンバーの平均年齢は70歳を悠に超えており若いメンバーが欲しいことと彼女の詩集の Poetry Plaza への転載につき話してみました。要請に対する答は率直で、出版社は私のお友達だから大丈夫、といったいとも明確でありました。それで、原稿をお送り頂きましたが、考えてもみましたらおそらく大変な苦労をしてマーケット・インしている 英語原文をインターネットの載せるのもどうかと考えられ、この件につきましては私の翻訳によって日本語版にのみ掲載することで最終合意に至った次第であります。Poetry Plaza 日本語版にはまた一つ新たなプログラムが加わりますが、現在の私の状況下、発表までにはまだ何ヶ月かかかるでしょう。この私の最終判断は、現代詩のマーケットを良く心得ているからでありまして、その事情につき少し付け加えてみたいとと思います。

アメリカでの現代詩集の通常の第一刷の発行部数は2,000部と聞き及んでいます。売れ行きのよいときは稀に一二年で完売ですが通常は何年もかかる、とのことであります。一方、日本での実情は 、良く名の知れた詩人の場合では1千部といったところ が目いっぱいのはずです。これらの数字は両国間の人口に比例しており面白い現象ではあります。ただし日本での場合、現代詩を取り扱う出版社は非常に限られており現代詩の出版などほとんど相手にされないのが 出版界の実情です。詩人たちが出版するのは自費出版で、まあ300部といったところで、 出版社が名前を貸してくれ、ある程度の宣伝はしてくれるようですが、その宣伝もほとんど効かずまるで売れないのが実情です。これは日本のみならず世界共通の実態ではないかと も私自身は推測している次第です。

実情として具体的な例を挙げれば、その晩年、草野心平の新作詩の年次詩集は毎年筑摩書房よりその死の前年まで十数年にわたって出版されておりましたが、発行部数は通常7百から千部でした。完売には通常3〜4年、最長7年かかっていたはずです。 この場合、一冊およそ3千円としても一出版の売り上げ総額は2〜3百万円といったマーケットで、原稿料が最大仮に20パーセントとしても 、詩人の収入は 一出版につき30万から50万円といったところで、 一年間の心血を注いだ大変なエネルギーと気苦労を消耗してみてもサラリーマンの1ヶ月の給料に毛の生えた程度のもの あるいはそれに及ばないものであります。草野心平のネームヴァリューと筑摩書房の販売力が総動員されてみたところでも、これが実情で如何に詩とはお金にならないものでありましょうか 、の証左であります。

話は私事に変ります。私は英語版詩集 at Dawn をまとめてから詩についての出版からは完全に手を引いております。その代りにインターネットへの発表にしました。at Dawn を纏めてから後、新作の何十篇かの作品につきアメリカでの出版の話がありましたが、私にとっては煩わしく思われましたので断りました。気心のあった人たちとゼニカネ抜きでやっていくのが私の性分に一番合っている と考えたからです。

最後に、ちょっとしたチャンスからジェシカ・ロペスの作品の翻訳に私を走らせたのは、その作品の背後に現代アメリカ社会にある一つの考え方について注目したからであります。このことは 翻訳の過程でいずれ明らかになるはずですが、結果はどうであれ、私自身にとりましても この翻訳作業は非常に興味のあるところであります。



気合い (名人)

私は中学・高校・大学と青少年時代は十年間目いっぱい半端ではない一流のスポーツ選手として心身共に鍛えに鍛え抜いてありますので身体には自信を持っておりましたが、60歳になったころからあちこちに障害がでて、何度かの入院を余儀なくされて現在に至っています。先般、腰椎の手術で入院をしましたが、その折、看護婦さんたちのなかで点滴の針をさすのが得意な人がおりました。針をさ されるのに痛くも痒くもない、チクリとした感覚すらもないのです。巡回してくる彼女が何気もなく最初に確認することは、点滴の針の状況で、それををチラッと診ただけで判るらしい。 「あ、これ駄目、針を差し替えましょうね。」 その後体温・血圧などなどをテキパキと確認してから、さっさか次へと移動して行く。

その点滴針さしの一瞬の早業があまりに見事なので、どうしてそんなに上手なのか尋(き)いてみました.。答えは簡単 「私、気合いを入れるの、そうするとぜんぜん痛くない。」 「ふーん、そうなの。」 と私は言っただけでしたが二十歳そこそこの女性の 「気合いを入れる」 といった言葉に私はびっくりしました。それで英語ではこの場合の気合いを入れるを何と表現するかなあとも思った次第です。彼女の表現する 「気合い」 とはそうとしか言いようがないからでありましょうが スポーツ試合中の無意識的な反射作用にも似て精神統一・集中だとか慎重とか細心な注意だとか緊張 あるいはコツといったものをまるで超越した「気合い」という言葉に、私は心のなかで、なーるほど今どきの若者も大したものだ、 と大いに感服した次第であります。        
(手術前、執刀医が輸血のための自血を採るときの針さしはメチャクチャで、左右両腕のあちこちが紫色に腫れあがっちゃって、たーいへんだったよ、あのときは 、タチの悪いへっぽこ医どもめ。


まあ今回もまた、タイトルのテーマに付け加えていろいろなことを雑然と書き流しましたが、これまでとします。

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