東西南北雑記帳    BACK    NEXT

詩の翻訳技術あれこれ
をしてもひとり

この 「詩誌 東西南北は」 は、 正式には、Poetry Plaza の日本語版としてありまして、母体である Poetry Plaza の公式用語は英語、となっております。現在は英語版 日本語版 そして中国語版からなりたっておりますが、過去何度かにわたってスペイン語とフランス語の増設を試みました。然しながら、いずれも成功せず、頓挫して今日に至っております。スペイン語はスペイン大使館を通じて "Casa Asia" というスペイン政府の公式サイトで宣伝をして頂きましたが、反応はありませんでした。一昨年、新たに 英西両国語バイリンガルである Jessica Lopez氏 を新たなメンバーに加え、彼女が来日の折にこの構想につき具体的に話し合いましたが、私も彼女も多忙につきその侭になっております。いずれにしろ、何語でもかまわないのですが、Poetry Plaza のタイトルの下で、多数言語での番組編成の夢は消えてはおりません。

機軸言語を英語とする考え方と、いま一つには、古い番組を何時までも掲載し続けることのナンセンスさにも気づき、日本語版の古い番組は思い切って割愛縮小しました。この背後には私一人でデザインからインプトまでやってきておりますので、時間と労力の合理化をしなければとてもやっては行けない、という現実もあります。その上に立って、長らく休眠しておりました、私自身のページであります 「東西南北雑記帳」 と 「新私小説日記」 の再開となった次第です。

さて一方、英語版に関しましては、私の手になる尾崎放哉の俳句と石川信夫の短歌の英語訳のページを新たに設けました。両者の作品はすでに各々百篇の翻訳を終了しており、この八月より月々定期的に数篇ずつ掲載を自動的に更新し来々年の三月に終了するようページのプログラミングも終っております。これら両者の作品に私が耽溺して読んでおりましたのは、私がちょうど詩作し始めた時期に符合しており、何度も繰り返し読んでおりました。

両者の作品を私なりに英語訳し終ってからネットで検索をしてみましたが、石川信夫の短歌の英語訳はまったく見つけることはできませんでした。ところが、尾崎放哉の作品の多くは大々的に流布されておりフランス語訳もあります。それよりもも驚いたことには、その英語訳については、はてな?!、といったものが沢山ありすぎます。最初に私を驚かせたのは、標題の 「せきをしてもひとり」 ですが、その英語訳が
When cough, alone ですとか When coughing,
all alone ですとか、それでもまだましなのは、 Even if I cough, I'm alone といったものでありました。それで、そうした翻訳作品の数々にざっと目を通してみましたが、翻訳技術についてつくづく考えさせられるところが多々ございました。けれども此処でお断りしておきますが、私はこれらの」翻訳を悪戯に誹謗しているのではありません。これらの訳が間違っている、と言っているのではありません。間違ってはいないが正しくはない、と言いたいのです。

それで、「月夜に葦の折れとる」 の訳文である、
Reeds in the moonlight
snapped
について少々述べてみたいと思います。この翻訳文も間違ってはいませんが正しくはないのです。この句の有名であるゆえんは、明るい月光の下で葦の群のなかに一本の葦が折れていて、その折れた部分がチカッと光っているのを見て驚いていることをうたったものです。「折れとる」 とは方言で、地方によっては 折れとるがや とか 折れてっけん とかに換言されるものなのです。こうした叙景句の背後に尾崎放哉の孤高性あるいは孤独を必然的にダブらせて理解されるので、この句は有名になっているのだと私は考えています。

以前に私は、このシリーズの何処かで、私にとっては日本語から英語への翻訳のほうがその逆よりも楽であることの背景について書き記していますが、原文の正確にして精確な理解なしに翻訳は不可能であり危険ですらある、と言うことになろうかと思います。

上記二編を私は次のように訳してあります。

咳をしてもひとり
Even though coughing,
all alone.

月夜に葦のおれとる
Under the moonlight,
there stands a reed snapped.

これまで私はかなり多数の詩文を翻訳してきていますが、それらはほとんどすべて何らかの個人的な付き合いのある詩人たち、あるいは、何らかの縁があっての上でのみ翻訳をしてきています。今回、非常に傾倒してきたった尾崎放哉と石川信夫の作品群を短期間に集中して翻訳し終り胸を張って世界に送り出しますが、その背景には私の視力が何処までもってくれるかという切羽つまった状況に立たされた上です。けれども、英語圏世界にどれだけ理解され受け入れられるかは疑問であり、一つの実験であります。


追 記

尾崎放哉の作品二篇につきましては上記で或る程度述べましたが、石川信夫の作品についてはほとんど述べられておりませんので、此処に三篇だけその秀歌であると私が考える原語ならびに私の手のなる英語訳を記しておきます。

天涯ゆ来たり天涯ゆ去る白き鳥の群かとも桜の花を
I wonder if it is a skein of white birds
coming from and flying away to
the far-off horizon, blooming sakura.

くれないの紅葉は未だ死せるにあらず死を見つめたるひたぶるの燃え
Deep red maple leaves are not dead yet,
they are desperate flames
watching the end of life.

この国に八千万の生きて行く道ありとし聞かば眉も開かむ
Should I hear of the possible way
80 million could live through in this land,
I would feel relieved.

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