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第4章 記憶 (2)

一枚の年賀状


昭和四十九年の真夏

   (この東村山に移り住んで今は十六年たっているが)

その引越しの直後の

こまごまとしたものの整理中

本の間だったかどこからだったか

一枚の古い年賀状がひょっこりと出てきて

見ると

昭和三十九年元旦日付の

中学時代の恩師からの年賀状

通信面には文字など何も書かれていない

画面一杯

明らかに観音像の版画のハガキ


(私の記憶が正しければ此の年のたしか春先に
恩師は急死をとげ片田舎の中学校の名もない一人の

美術教師として誠実な短いその生涯を閉じた)


「こんなにも佳いものが出てきちゃってどうもつらいよ」、と
差し出されたその版画を一目みた近くに住む友人から

「君、これは此の人にとっての理想の女性像で

  それにまちがいはないよ」 と

指摘され、そう言われてみれば成る程そのとおりだと

私には腑におちるところがあって

けれども

その画像から受けとめられる

深い祈りにも似た雰囲気はなんなのだろう、との

一抹の疑問は消しがたく

それは私の胸の奥深く今も続いている


その後、この版画像は額装され
時には室内模様替えの飾りものや家具やらの

配置替えや引越しも幾度かはあったけれど

この作品はたえず私の身辺に置かれ

飾られ続けてきている