弧をえがく巨大な海の潮のなかにほうりだされた
私の想いはもどりながら、また暗い泥板岩のちいさな入り江に
しずかにひきもどされ。酔い。愛され。
ありぶれた石英にこころ打たれ。
泥板岩。ニュー・イングランドの海岸地帯の霧の色彩。
ぬれた絹のようにも見え、まるでいまのこのひとときのようにも思われ。
秋ぞらの憂色のような、愛すべき、そしてかげりそのものでもある
大理石について私は想う。もっともレオンテスの言ったことだけど
斧が瞬間を切りとるものはなんだろう。
ヰェーツの飢えた恋人たちや
明るい色のウールのひだのように、透明なガーゼのように、
風にゆれるシーツのように、観音の指のように、
ヘルメスの肩のように、イエスの手のように、
水や空気や大地やあるいは火のように、すべてのもののように輝いていて
けれどもガラテアの伝説や、また、どこか公の場所でま夜中に
キッスをかわす彫像みたいな、ヰェーツの飢えた恋人たちは
仮面のなかにキッスで特性をあらわし眠りについた。
けっして大理石たりえないヘルミオネだけが生きた。
私を叱って、かわいい石よ。でも貴方にはできはしない。
ああ、私は自由で打算のないありふれたしあわせ、
労せずしてえられる思いもかけない生きているなにかがほしい。
私は知性と方法論に病んでしまっている、
それは私自身の欠点であり、忍耐への病(やまい) なのだけど。
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私は私の手のなかにある物質に値したいとはねがわない、むしろ
生活、思わぬさずかりもの、彫刻には不要なひびわれた泥板岩をこそ
もっていたい。
私は私自身のくちびるにキッスしてほしい、ドアの外からしっかりとした指で
この顔から率直なかなしみの涙をぬぐってほしい、とねがう
大理石のように、かがやき、太陽が雲をとおしてしずかにもえ,
ほのかで燦然とした、そんな大気のなかで
大理石は悲劇の実体。大理石はおもたい。大理石は
くちづけされても生きてはいない。大理石は無責任なひとときの感情.
私は不器用。私はおとろえ。私は恥じる。
これは私だけの生。私は大理石のなかに消滅する。 |