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第 3 章  愛の角巻き  


序 詩  
天国への手紙   横川秀夫詩 
細谷彬詩集 「美しくもない蝶 」 に捧げる

今日のこの晴れた秋のお彼岸の日に
< 除夜の鐘の音が聞こえています >

 生きるに愛はかなしすぎ
 おもたきにすぎます

 胸を裂きつらいほどに美しいその愛は
 だいだいいろ一色に染まったカンバスの
 酷薄の景色の角巻きのなかに塗りこめられました

 細谷先生、
 いつかまたどこかできっと お会いしましょうや

(1999/9/23)

.
愛の角巻き  
細谷彬詩  松本いずみ朗読

 

 
 その路線は乗り換えが多く いつも汽車はガランと空いていた 山あいなので汽車は動いたり止まったり その度に妙な音をきしませながら ノロノロと地をはうように目的地に向っていく 汽車には各車両ごとに二個のダルマストーブがあって 客が勝手に石炭を投げ入れたり 手をかざして暖をとったりした 車窓からいくつもの炭鉱住宅が山麓に並列しているのが見えて 夕暮れ時などに通過すると それは異国の旅に出会った見知らぬ風景のように じっとりと心に哀愁をしみこませるのが常だった 

 昭和二十六年ころのことである 私は大学から出張医師として 月に二度ほどこの炭鉱病院を訪れた 寝ようと思っていたら看護婦が来て 「先生 お産の往診依頼があります いかれますか」とのことだったので すぐ出かけられるよう手配を頼んだ 戸外に出ると こんこんと大粒の雪が まっすぐにあとからあとから落ちてきて,見上げる私の頬を濡らした 馬橇に揺られて患家に着いたのは午後十一時ころだった
 
   患家は炭鉱住宅街を離れたゴタゴタした 路地の奥にあった 粗末な引き戸を引くと 子どもも大人も 大勢の人が心配そうに私を見た 私は 自分の座る場所を見つけるのが.やっとの思いだった 部屋が一つしかないのだろう 誰も動こうとはしなかった 部屋の真ん中で大きな薪ストーブが音をたてて燃えていた

 「先生 ちょっと前から急に容態が変わりました」. とついていた助産婦が言った 私は患者の顔を見てびっくりして 手をとってみたが もう脈はなかった すでにこと切れていた 「昇天です」私が言った時 助産婦があわてて聞きかえした,

 「昇天って ああ 先生・・・・・やっぱしだめですかえ」部屋全体が一瞬.水を打ったように静まりかえった  

 私は産婦の腹部に手を当ててみた 胎児の手足の一部を腹の上から.容易につまみあげること
 


ができた 子宮が破裂したのである どうして子宮が破裂したのか知りたいと思い 手を洗い内診してみた 指先にはっきりと胎児の臀部を.触れることができた それは普通の胎児の臀部より小さいように思われた

 「逆子ですね 双子で もう一人の赤ちゃんとお腹の中でくっついているため お産ができなかったのでしょう 胎児を引き出してみましょう」

 私は 自分に言い聞かせでもするかのように 一言一言小さな声で言った  誰も返事をするものがなかった 部屋のあちこちからすすり泣く声が聞こえた 切羽詰ったように そばにいた老人が口をきいた

 「先生 やめて下さい この家庭には八人の子どもがいるのです 貧乏で食べるのがやっとです もう  明日からどうしていいかわからないのです 子どもがお腹の中にいたままなら.棺おけは一つですみます 赤ちゃんを引き出したら 棺おけは二つまたは三ついるでしょう 棺おけを作るお金も木材もないのです」
 
 部屋の隅で 急にけたたましく乳児が泣いた 昨年生まれた子なのだろう 見返ると 先刻から私のそばで大粒の涙を流していた.助産婦が 突然立ち上がって 泣きじゃくるその乳児を黒い角巻きにくるみ始めた 「私この子もらって育てます」 何の返事もなくて 部屋全体にいつまでも続くすすり泣きが また一段と大きくなっていった

 助産婦は一礼すると.大事そうに角巻きの子を抱いて引き戸を開けると 暗黒の雪の中に消えて行った それはこの山全体をすっぽり包み込むような大雪の日だった

 私はあの助産婦の後ろ姿を忘れることができない 世の中はめまぐるしく変わった あのダルマストーブをのせた汽車も あの子を包んだ黒い角巻きも 今はもう見かけることができない そしてまた 哀しいことに 今はもうあのように心美しい助産婦の後ろ姿に.巡り会うこともない


細谷 彬 (1925〜1999 )
北海道の詩人
細谷彬詩集 「美しくもない蝶」  (1990) 土曜美術社